未知試料混合物の分析では,試料分離のためにクロマトグラフィーが,検出と同定のために分光法がそれぞれ幅広く利用されてきた.分光法のうち,ラマン分光法は分子構造に関する直接的な情報をもたらすという利点がある.しかしながら,信号強度が弱いためクロマトグラフィーとの結合は必ずしも容易ではない.共鳴ラマン効果や表面増強ラマン効果という信号強度増大法が利用可能であるが,これらの手法は,測定対象が一定条件を満たす場合にのみ適用される.そのため,未知試料分析の際に,これらの信号強度増大法が必ずしも利用可能であるとは限らない.これに対して,非共鳴ラマン分光はすべての分子を検出しうるという利点がある.これまでに,非共鳴ラマン信号強度を増大させるためのいくつかの実験手法が開発され,LCとの結合が実現している(LC-Raman測定).本稿では非共鳴ラマン信号強度の増大法を紹介するとともに,LC-Raman測定の研究動向と現在の実施状況を解説する.
本稿では,減衰全反射型遠紫外(ATR-FUV)分光法を核とし,量子化学計算や分子動力学シミュレーション,多変量解析を組み合わせることで実現した,リチウムイオン電池用電解液の溶媒和構造と電子状態研究についてまとめた.有機電解液では,溶媒分子がリチウムイオンに配位することで生じる吸収帯の変化をとらえ,濃度に応じた構造変化や高濃度でのカウンターアニオンが関与したコンタクトイオンぺの形成を明らかにした.イオン液体系では,アニオンやカチオンの内部励起,及び両者間の電子移動に由来する吸収を系統的に観測し,計算結果と対応づけた.さらに,構造的第一溶媒和圏を超えて電子的影響が及ぶ範囲を定量化し,従来法では得られなかった知見を提示した.このアプローチは,電解液の分子レベル設計や次世代蓄電デバイス開発の指針となる分析基盤として期待できる.
ラマン分光法は,光と分子との相互作用による光エネルギーの変化を検出して,分析対象内の分子組成や分子構造情報を,非破壊,かつリアルタイムに分析することができる.著者は近年,生殖補助医療における卵質評価に,ラマン分光法の応用可能性を探る研究を展開してきた.生殖補助医療において,“卵子の健常性(卵質)”は極めて重要な鍵となり,分子科学的情報に基づいた,新たな非侵襲的卵質評価手法の開発が求められている.本稿では,ラマン分光法を活用したマウス卵子成熟過程のモニタリングと,ヒト胚培養液の分析研究を紹介する.ラマン分光法により,卵子,及び胚培養液の両面から卵質評価にアプローチできれば,生殖補助医療における新たな卵質評価手法を提示できると期待される.
キラル誘導・増幅・転写において魅力的で有用な反応場である超分子集合体,フィルム,ゲル,液晶,膜,ポリマー,単結晶などの凝縮系や固体におけるキラル光学物性を詳細に知ることは近年のキラル実材料分野において重要度が高まっている.しかし,キラル光学物性の代表的な円二色性(CD)や円偏光発光(CPL)は,偏光変調分光法に基づくキラル分光光度計で計測されるため,これら光学異方性試料のCDやCPL分光測定から得られたシグナルを正しいキラリティシグナルと判断するのは注意が必要である.光学異方性試料の持つ光学異方性,すなわち直線偏光が関与する非キラル信号と分光計の光学素子の残留複屈折や偏光特性とのカップリング効果が偽シグナルとして測定されたシグナルに混在しているからである.これらの偽シグナルは,しばしばキラルシグナルよりもはるかに大きいため厄介である.本稿では,偏光変調分光計の原理に立ち戻り,光学異方性試料の正しいキラルシグナルを得るための方法論とストークス─ミューラー行列偏光分光法における信号解釈について系統的にまとめたので紹介する.
題名「Über die Autooxydation von Natriumhypophosphit」(1934年発行)1)の論文がある.その論文の要旨の邦訳と推察される無化化学全書(1965年発行)2)には「次亜リン酸ナトリウム水溶液中に酸素またはオゾンを吹き込むと2ないし4時間の反応誘導期を経てのちに急激な吸収が行われ,亜リン酸,オルトリン酸のほかにペルオキソ酸が生じる.」という記載がある.この文章中の「吸収」は酸素またはオゾンの吸収を意味することから,原始地球での空気による原子や分子の酸素化の化学反応を感じさせられる.さて,論文1)以降,次亜リン酸イオン(PH2O2−)と酸素(O2)の反応の研究にはほとんど進展がなく,いわば「Über die Autooxydation(自動酸化について)」の壁を脱しなかった.その反応の機構を始めて解明したのは著者らの論文3)〜6)だったと考えられるので,その反応の「自触媒反応とは何か(副題)」と併せて,この反応の意義と研究の更なる展望などを総合的に論考・論述した.
木質バイオマスであるスギおが屑を塩酸で前処理後,過マンガン酸カリウムで酸化させ,スギを基体とする発色剤を開発した.この発色剤は,NaH2PO4から解離したリン酸二水素イオンに対して赤褐色を呈し,その極大吸収波長は474 nmであった.一方で,Na2HPO4,KH2PO4及びNH4H2PO4では全く発色を示さなかった.そこで,合成した発色剤を用いてNaH2PO4由来のリン酸二水素イオンの吸光光度定量の発色条件を検討した.反応体積25 mLにおける発色の最適条件は,発色剤添加量0.1 g,反応時間90分,反応温度25℃ 及びpH=4〜6であった.この発色剤をリン酸二水素イオンの定量に用いたところ,バッチ法は2.5〜25 mmolの範囲でr=0.995の良好な直線性を示す検量線が得られた.また,カラム法は0.5〜4.0 mmolの範囲で定量が可能であった(r=0.990).さらに,リン酸緩衝液におけるNaH2PO4由来のリン酸二水素イオンの定量についても検討したところ,5.0〜25 mmolの範囲でリン酸二水素イオンの選択的な定量が可能であった(r=0.991).よって,合成した発色剤はNaH2PO4由来のリン酸二水素イオンの選択的な定量に活用することができた.
高濃度にケイ酸(Si(OH)4)を含む温泉水に起因するシリカスケール生成機構の解明のための基礎研究として,温泉水中で成長するポリケイ酸のサイズ評価を動的光散乱(DLS)法及び多角度動的光散乱(MADLS®)法を利用して検討した.対象温泉池では,湧出温泉水にすでに一定量のポリケイ酸が含まれ,DLS法では,100 nm付近を中心とした粒子径分布が得られた.ゼータ電位と成分濃度より,このコロイド粒子は,ポリケイ酸に起因するピークと位置づけることが可能であった.同じ試料をMADLS®法を用いて評価すると,微小領域に存在するポリケイ酸のピークをとらえ,より明瞭なポリケイ酸の粒子成長を観察することができ,今後の温泉水中のコロイド粒子の評価に利用できる可能性を示すことができた.温泉池の深部に行くほどポリケイ酸濃度及びコロイド粒子のサイズは増大,ポリケイ酸同士が反応し,500〜600 nm付近の粗大粒子を形成していることが明瞭であった.
本研究では,機器中性子放射化分析(Instrumental Neutron Activation Analysis, INAA)を用いて,実験用器材及び日用品に含まれる全フッ素量(Total Fluorine, TF)を非破壊で定量した.INAAは熱中性子照射によって生成する20Fの壊変γ線(1633 keV)を測定する手法であり,試料前処理を要せず多様な化学形態のフッ素を網羅的に分析できる.本研究では,短半減期核種に対応するため繰り返し照射法を採用し,検出限界を0.2 μgまで向上させ,46mScを内部標準とすることで検量線の直線性及び分析精度が向上した.実験用器材13種と日用品12種を対象に測定を行い,市販の撥水スプレー処理紙や食品包装材,化粧品に高い濃度のフッ素が検出された一方で,ファーストフード包装紙からは検出されなかった.INAAは製品中の全フッ素量を迅速かつ網羅的に評価できる有効な手法であり,今後,LC-MS/MSターゲット分析など他のフッ素化合物関連分析手法との併用により,より包括的な評価体系の構築に貢献することが期待される.