北海道において,農作物病害の発生が注意され,記録されるようになったのは3県1局(1882∼1886年),ついで北海道庁(1886年)が設置された1880年代に入ってからである。もちろん,開拓使時代(1869∼1882年),あるいは松前藩時代(1590∼1869年)にも既に各種病害が発生していたと推測されるが,これを実証する記録,資料を欠くので,今後さらに検討する必要がある。
1891年(明治24年),「北海之殖産」誌上に発表された宮部および橋本の報文が,学術的記録としてもっとも古いようである。前者は「植物〓病に就て」と題して当時発生の麦黒奴(黒穂病),トウモロコシ黒奴,麦の葉渋(さび病),ネギの葉渋などを記述し,後者は小麦のバント,燕麦のスマットなどの黒穂病予防試験成績を記述している。しかし,1880年代には一般にも病害の発生が注意されていたようで,札幌の勧農協会会報に麦のラスト(さび病,1882年),麦奴(黒穂病,1883, '84, '86年),茄子立枯病(1885, '86年)などの記事がある。また,1886年には,近年小麦にさび病発生が多いとして道庁長官から防除についての諭達がだされ,さらに道庁勧業課から麦類黒穂病の防除法が公示されている。なお,1882年にはインゲン角斑病の標本が渡島地方で採集されている。
1895年以後,札幌農学校宮部教授の教室で植物病理学専攻の学生が農作物病害の研究をはじめるようになり,1901年北海道農事試験場に病理昆虫部門が設立されて農作物病害についての試験研究が進められた。1905年ごろまでに,前記の各病害のほかいもち病,ジャガイモ疫病,テンサイ褐斑病,アマ立枯病,ダイズ菌核病,リンゴ赤星病,リンゴふらん病などが相次いで記録されたが,当時は主として病害および病原菌の一般性状を解説した報文が多かった。その後(1950),北農試は国立(北農試)と道立(道農試)とに分離されているが,各農試は北海道大学農学部植物教室,その他の試験機関とともに,重要病害の発生生態を究明し,防除法を確立するための試験研究を発展させ,また発生する病害の全貌を把握するため不断の努力を払ってきた。この間,各種病害について幾多の試験研究成果が報告されてきたが,この成果は道庁の病害防除行政,防除技術の指導,普及に活用されている。
筆者は,これらの文献を蒐集,整理して病害発生の動向,変遷を史的に展望し,病害発生要因を検討したが,文献のほか,大学,試験研究機関などに保存されていた標本,あるいは筆者の調査観察にもとづき,北海道における農作物病害目録を作成した。採録した作物種類は約190,各作物病害数約1,100,同病原数約1,200(共通のものを除くと約600,このうち新たに記録したもの約80)である。
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