ブイリピン, 北部ルソン島山岳地帯イフガオ州に居住するイフガオ族の織物と染め物を扱う, このように述べると, 何か実質的な文化を想像するかもしれない.文化をめぐる事象はそれほど単純ではなく, 部族民であると同時に農耕民でもあったイフガオ族はすでに富の偏在と単純ではあるが社会階層の分化を経験していた.モノや道具が稀少でおよそ実質性に支配された社会であり, 実質性に即した比較的簡単な衣料を着用し, 裸体にも寛容な社会であった.しかし他方で社会的地位にふさわしい形式性, 美意識を表象するのに衣装をかりて表現した.
今世紀に入ってアメリカ合衆国のフィリピン諸島領有以降, 北部ルソンの山岳地帯も交通の整備がすすみ, イフガオ族も出稼ぎに低地を往来し物資を大量に持ち帰ったという事実がある (Barton, 1922, p.426) .本論で見逃せないのが流入物資の一つであった綿花である.低地に近接したイフガオ族から服飾の文化に変化がおきたと推測できる.
この小論で扱うのは, まず綿織物に先行した樹布, 続いて染色, 通常の綿織物と予め染めで模様を作るikat織りについてである.樹布と染色はほぼ廃れているのであるが, これらを考察せず綿織物を扱うだけであれば, 過去のイフガオ族の世界, 特に自然環境を巧みに利用した実態を知ることが不可能である.最後にイフガオの織物を保存する運動や産業化の問題とその実態について観光という文脈から略述することで結論にかえる.冒頭に述べた階層の儀礼的表示と
服飾の関係を論じるのは紙面の関係から控える.この社会は今世紀まで文字を持たず口承に頼っていた.したがって織物がいつから始まったのか, 機織りの技術が自生したのか外部から導入したのか, 改良がいかに進んだのかなど不明な点が多い.渓谷毎にかなり自立性が強いため方言格差が著しく織物の扱いも地域によって異なる.染色の材料となる植物名, 織機の道具名を表記するのは土地の言葉を優先する (地名については地図を参照) .また方言を並列する場合がある.植物名はわかる範囲でラテン語名をイタリックで表記する.
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