日本消化器内視鏡学会雑誌
Online ISSN : 1884-5738
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24 巻, 7 号
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  • 多賀須 幸男
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1021-1041
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
    For the perfect observation of the intricated gastric lining, a flexible endoscope was inevitable. The very difficult question how to convey an image along a curved axis had been solved by G. Wolf, a cystoscope-maker in Berlin and R. Schindler in Munich for the first time. Rudolf Schindler is a man who devoted all his life for the completion of a safe gastroscope, for the establishment of the techniques for painless examination and the endoscopic diagnostics of every gastric pathology. He well claims the name 'the father of gastroscopy.' Their flexible gastroscope was completed in 1932. It was 78 cm long and over 44 lenses were incorporated inside. Its distal half could be curved gently until 34°. The observation of the pyloric ring was possible in over 80% of the cases. Their flexible gastroscope was introduced to every country in a short period of time. H. Nakatani, a surgeon of Tokyo University, brought it back to Japan in 1933 after he had took the Schindler's short course on it. In 1934 S. Kirihara, a surgeon of Nagoya University, and M. Takei, a cystoscope-maker in Tokyo, succeeded to make its copy and in 1937 they improved its flexible portion to be controllable. In 1943 the first Japanese textbook on gastroscopy was written by Kirihara. However a flexible gastroscope was used only by few hands of selected university hospitals. In 1889, M. Einhorn in New York introduced an electric bulb into the stomach and estimated the size of the stomach and its position by the light on the abdominal wall. He named it as 'gastrodiaphany.' In 1898, F. Lange and D. Meltzing in Munich made a miniature camera installed in the tip of a flexible gummy tube. Over 50 gastric photographs 4 mm in diameter were taken on a strip of film. However they failed to get satisfactory pictures. In 1930, F. G. Back, J. Heilperin and 0. Porges in Wien made an instrument named as 'gastrophotor'. Eight pair of black and white stereo-photographs were taken by one shot of flash. This was used in Europe and United States for some time but soon discarded in the presence of the Schindler's gastroscope. In 1950 T. Uzi, a surgeon of Tokyo University Branch Hospital, M. Sugiura and M. Fukami, engineers of Olympus Optical Co., invented a camera to be inserted into the gastric cavity and called it as 'gastrocamera.' Twenty five to thirty pictures can be taken on a strip cf 30 cm long film. Photographing of the various parts of the stomch was conducted by referring to the flash transilluminated through the abdominal wall. The utilization of newly developed materials after the 2nd world war, especially that of colorfilm in 1953, made it of practical use. S. Tasaka, a professor of Tokyo University and his disciples T. Sakita, S. Ashizawa et al played an active part for the improvement of the gastrocamera, how to use it and the propagation of their technique. After the completion of the 5th model of the gastrocamera (GT-V ), it was used by many doctors even for mass-survey against stomach cancer in Japan. The easy interpretation of its sharp color photographs was one of the reasons for its big success. The Gastrocamera Study Club established in 1955 by S. Tasaka and T. Hayashida, a professor of Tokyo University Branch Hospital, developed to Japanese Society of Gastrocamera, in 1971 to Japanese Society of Gastroenterological Endoscopy. In 1964 a fiberscope was incorporated to the gastrocamera (GTF) and photographing under visual control became possible. In 1966 the first International Congress of Gastrointestinal Endoscopy was held in Tokyo. The transmission of light along a curved glass-rod was known since Grecian age. The first experiment of image transmission with a bundle of flexible quartz fiber was undertaken by H. Lamm, a medical student of Munich University in 1930. He tried its application for a gastroscope but it was not materialized. In 1954 N. S. Kapany, a physicist in London and van Heel, a physicist in Holland reported on an opticalfiber-bundle
  • 沼 義則
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1042-1053
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     著者は,発癌過程における肝癌発生に特徴的な肝表面の変化を検討するため,まず基礎的研究として,0.06% 3'-Me-DAB発癌ラットの肝表面を細径腹腔鏡で経時的に観察した.次で,それより得られた所見をもとに,慢性肝疾患(慢性肝炎,肝硬変症)145例および肝細胞癌(以下肝癌)29例について,腹腔鏡所見と肝癌との関連について検討を加えた.基礎的研究では,発癌剤投与後,肝表面に散在性に発赤部が出現し,直視下肝生検により同発赤部は増殖旺盛な細胞集団であることがわかり,肝表面も軽度の凹凸が認められ,ヒトでいういわゆる“斑紋肝”様の所見を示した.これらの所見をもとにして,臨床例について腹腔鏡上みられる赤色小円形斑紋(以下斑紋)に注目し検討を加えた.斑紋は,慢性肝疾患145例中42例(29.0%)にみられ,liver cell dysplasia(以下LCD)を認める症例では27例中13例(48.1%),認めない症例では118例中29例(24.6%)と有意の差(P<0.025)をもってLCD陽性例に多く認められた.肝癌症例では,斑紋の出現頻度は慢性肝疾患全体より高い傾向にあった.血中AFP値については,慢性肝疾患症例中200ng/ml以上を示すものは,斑紋出現例では40例中12例(30.0%),非出現例では96例中10例(10.4%)と出現例に多かった.以上のLCDとAFP値と斑紋出現の関係より,斑紋は慢性肝疾患症例の発癌へのhigh risk group決定の1つの所見として重要な意義をもつものと考えられた.
  • 関谷 千尋
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1054-1065
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     肝炎の持続や進展に伴い生じてくる肝の弾細な変化を生体のままで観察しようと思い,高倍率拡大腹腔鏡を試作し,臨床例で検討を加えた.このスコープは50倍まで拡大できるが,遠方も十分にみえるため腹腔内の操作は容易であった.また,50倍での解像力や撮影写真の再現性も極めて良好であった.門脈枝を50倍まで拡大すると,その枝分かれしていく状態や類洞との関係が非常によくわかる.このことは肝動脈枝についてもいえるが,特に肝動脈枝と類洞や門脈枝の関係は論議の多いところであるが,著者はヒト肝における貴重な知見を得ることができた.また,肝線維化に伴い生じてくる白色紋理部には門脈枝が増加していることもわかった.以上より,このスコープはヒト肝における微小循環動態を解明していくうえで,また,肝疾患の進展過程における病態をよりきめ細かに知るうえで大いに役立つものと思われた.
  • 竜田 正晴, 奥田 茂, 谷口 春生
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1066-1075_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     多発胃癌の内視鏡診断の実態を分析するとともにわれわれが考案したCongo red-methylene blue testによる多発胃癌の診断成績について検討した. 当センターで経験した153例189病巣の多発胃癌の多くは高齢者の男性で,内視鏡的に診断が困難な表面平坦型早期胃癌IIbや5mm以下の微小胃癌が多く,胃切除に際して問題となる.IIb型,I型,IIa型,すう襞集中を伴なわないIIc型やBorrmannI型には副癌巣を伴なうことが多く慎重な内視鏡観察が必要である.この際副癌巣は主癌巣と類似した肉眼病型を示めすものが多いことは副癌巣を発見する手がかりとなる.内視鏡的には術前に「癌」と確診されたものはわずかに27.5%に過ぎないが,その多くは撮影方法に問題があり,術前に丹念な観察をすれば診断可能である.しかし,微小癌,IIb型早期胃癌ではretrospectiveにも異常所見を指摘しえないものが多く,補助診断法の併用が必要である. われわれが考案したCongo red-methylene blue testは1回の検査で胃粘膜表面の微細観察,腸上皮化生の分布,体部胃炎の拡がり,酸分泌領域の観察が可能で,本法により多発胃癌の診断成績は著しく向上し,従来診断困難であった多発微小IIb型早期癌の診断も可能であった.多発癌の多くはCongo red,methylene blue色素がいずれも白色に腿色した領域として観察できたが,methylene blue色素の噴霧により粘膜の微細な変化があきらかになり存在診断が可能となったものも少なくない.
  • 竜田 正晴, 奥田 茂, 谷口 春生
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1076-1087
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     癌巣の最大径が5mm以下の微小胃癌の内視鏡診断の実態を分析するとともに,当施設で開発されたCongored・methylene blue testによる微小胃癌の診断成績について検討した. 当施設では多発胃癌症例の副病変をも含めこれまでに52例54病変の微小胃癌を経験している.微小癌の多くは多発胃癌の副病変として認められ,肉眼的にはIIb及びすう襞集中を伴なわないIIc病型が大部分を占める.微小癌の多くは深達度はmであるが4mm以上のものではsmにまで癌浸潤が認められるものもあり,早期診断の必要性が痛感される.内視鏡的には術前に癌と確断されたものはわずかに25.9%に過ぎず,内視鏡所見に乏しいIIb,IIa,すう襞集中を伴なわないIIc及び,多発癌症例の微小胃癌の診断成績は,とくに不良である.内視鏡的には軽微な所見を呈するものが多く,retrospectiveにみても異常所見を指摘できないものもあり慎重な撮影と読影が要求される. われわれの考案したCongo red-methylene blue testによる微小胃癌の診断は通常内視鏡検査による診断成績にくらべ良好で,70.0%が術前に癌と診断されており微小IIbの診断も可能であった.本法では微小癌はいずれも噴霧したCongo red-methylene blue色素がともに白く腿色した領域として観察でき,生検により容易に確定診断が可能であった.
  • 大方 俊樹, 浅木 茂, 岩井 修一, 北村 英武, 増田 幸久, 迫 研一, 西村 敏明, 佐藤 玄徳, 渋木 諭, 宍戸 洋, 佐藤 彰 ...
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1088-1092_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     上部消化管出血に対する非観血的止血法は種々試みられているが,いずれの方法もまだ完全なものとはいい難い.純エタノール局注止血法は,内視鏡に熟達した人であれば,どこでもできる方法である.本法は止血効果にすぐれ,簡便で,安全性の高い方法である.特に,手術後の例や重篤な基礎疾患を有する例における急性の胃・十二指腸潰瘍からの大出血は治療抵抗性で,外科的な手術成績もよくない.これまでに26例41個の出血性胃・十二指腸潰瘍に対し,本法を行ない全例止血に成功し再出血は一例もなかった.その一部は,既に本誌に報告した.いずれも直ちに全身状態の改善が得られている.本論文では,重症糖尿病と低蛋白血症を合併した64歳男性の穿通性巨大潰瘍の大出血に対し本法を行ない,全身状態の改善が得られ内科的に治療し得た症例の経過を報告する.
  • 永冨 裕二, 河村 奨, 浅上 文雄, 天野 秀雄, 相部 剛, 川嶋 正男, 前谷 昇, 播磨 一雄, 有山 重美, 富士 匡, 渡辺 正 ...
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1093-1101_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     症例は68歳の男性.定期的に受けている上部消化管X線検査で十二指腸下行部の異常を指摘された.低緊張十二指腸撮影,内視鏡検査,直視下生検より有茎性の早期十二指腸癌と診断した.内視鏡的ポリペクトミーをおこなったところ,smに浸潤した早期癌で,cancer in adenomaの状態であった.sm浸潤のため,後日外科的な追加切除をおこなったが,癌や腺腫の所見はなく,リンパ節転移も認めなかった. 加えて,早期十二指腸癌の症例を文献的に集計し,治療法の現況と今後のあり方について述べた.また,十二指腸下行部の内視鏡的ポリペクトミーの問題点についても述べた.
  • 山口 孝太郎, 嶋倉 勝秀, 上野 一也, 白井 忠, 野沢 敬一, 古田 精市
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1102-1108_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     2チャンネルファイバースコープを用いて砕石し,自然排泄により除去しえた大きな柿胃石例を経験したので報告する. 患者は40歳の女性で,5~6年前から上腹部不快感を訴えていた.今回上部消化管透視で約6×4×4cmの胃石を認めた.オリンパスGIF-P2による内視鏡検査時,胃石は可動性があり把持しにくかったため,オリンパスTGF-2Sを用いスネアで胃石を固定してから砕石した.胃石は組織所見とタンニンの存在から柿胃石と診断した. 柿胃石は本邦では胃石例の大半をしめる.従来は開復術で摘出されるものがほとんどで,近年内視鏡的に治療された例が散見されてきたが,大きな胃石は砕石が必要であり,その際胃石の可動性が最大の障害となる.このため2チャンネルファイバースコープを用いて固定し,その後に砕石する方法は,胃石の有力な治療法であると考え報告した.
  • 今井 希一, 北守 茂, 柴田 好, 原田 一道, 水島 和雄, 並木 正義, 諸岡 忠夫, 井上 千秋, 太黒 崇
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1109-1117
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     心窩部痛を主訴として来院した30歳女性に胃X線検査を行ったところ,十二指腸下行脚に表面平滑な腫瘤の所見を得,内視鏡検査でvater乳頭前壁寄りに接して表面平滑なbridging foldを有する腫瘤を認めた.生検鉗子で腫瘤を圧迫すると嚢胞様の感触が得られた.超音波検査でも嚢胞を思わす所見を示した.逆行性膵胆管造影では膵管,胆管に異常所見なく,胆管や膵管との交通もみられず,先天性胆道拡張症や膵嚢胞は否定できた.以上より十二指腸重複症を考え手術を行ったところ,やはり同部に嚢胞が認められ,乳白色の混濁した内容液を得た.嚢胞壁の組織学的検査では嚢胞内面は十二指腸粘膜でおおわれ,筋層を伴ない十二指腸内腔側と筋層を共有していた.この所見から十二指腸重複症と診断した.本症につき本邦例を調べてみると,これまで17例の報告しか見当らない.今回のわれわれの症例を含めて18例をまとめ文献的考察を加え報告した.
  • (経内視鏡的膵管内圧測定の意義)
    菊地 一博, 原沢 茂, 原 雅文, 牧野 孝史, 柴田 晴通, 瀬上 一誠, 野見 山哲, 三輪 剛
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1118-1124_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     膵管癒合不全に伴う高度な背側膵炎の一症例を経験し,経内視鏡的背側膵管内圧測定に成功した.症例は64歳女性.腰痛を主訴に来院.尿中・血中アミラーゼ活性の上昇を認めた.逆行性膵管造影を施行したところ,暗緑色調の粘性の液体が半球状に突出した副乳頭開口部の著明な拡張を認めた。経内視鏡的逆行性膵管造影(ERP)上,腹側背側膵管の癒合不全及び12mmと拡張した高度の背側膵炎の像を呈した.副乳頭開口部の変化は2週間の膵炎に対する治療で正常化した.同部よりcannulationを行ない膵管内圧を測定した.背側膵管内圧は8cmH2O,副乳頭圧は12~17cmH2O,主乳頭圧はPeak30~38cmH2O,trough17~25cmH2Oであり,従来言われてきた背側膵炎の原因である膵管内圧の上昇は認められなかった.
  • 池澤 健男, 山田 英次, 中島 正継, 赤坂 裕三, 川井 啓市
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1125-1130_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     腰背部の拍動性疼痛を主訴とした53歳男性スクリーニング検査にて,CEA高値のため腹部エコー,内視鏡的逆行性膵胆管造影(ERCP)を行い膵頭部癌と診断した.根治手術の可否を見るべく腹腔動脈造影,上腸間膜動脈造影を施行したが,腫瘍は総肝動脈,固有肝動脈,膵頭部アーケード,上腸間膜静脈,門脈のすべて浸潤しており切除不能と診断された.また入院時血清総ビリルビン値は0.5mg/dlであったが,約4週間で19.3mg/dlと高値を示すようになり閉塞性黄疸を呈した.このため内視鏡的乳頭切開術(EST)を施行後,内視鏡的逆行性胆管ドレナージ(Endoscopic retrograde biliary drainage,ERBD)を行った.ERBD施行後2週間で,血清総ビリルビン値は3.0mg/dlと軽減し,現在外来通院にて経過観察している.本稿では症例の呈示とERBDについての若干の考察を試みた.
  • 秋山 真紀, 山形 倫, 三田 正紀, 目黒 真哉, 小笠原 鉄郎, 林 仁守, 佐藤 信男, 當麻 忠
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1131-1136_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     2例の直腸カルチノイドに,メチレンブルー色素撒布法を含む大腸内視鏡検査を行ったが,通常観察の大腸内視鏡像では,黄白色調を帯びた粘膜下腫瘤様の小隆起としてみられ,メチレンブルー色素吸収像では,隆起部の小区にも色素吸収が認められ,その小区配列は,ほぼ正常の大腸粘膜像を呈した.これは,大腸癌病巣でみられた色素吸収不良,小区配列のくずれとは明らかに異っており,粘膜下腫瘤の性状のためと考えられる. 直腸カルチノイドは,他の部位のものに比べて,腫瘍細胞の配列が多彩で,銀反応陰性のことが多く,特に腺管状配列の著しい生検組織像では,低分化型腺癌との鑑別が問題とされることがあるが,メチレンブルー色素撒布法は,両者を鑑別する上で,有用な手段と考えられた.
  • 堀口 正彦, 川本 智章, 上野 規男, 長沢 貞夫, 熊谷 真知夫, 吉田 行雄, 田中 昌宏, 酒井 秀朗, 木村 健
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1139-1145_1
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     町田製新型広角大腸ファイバースコープFCS-L3を用い,無透視で52例に大腸内視鏡検査を施行し,その挿入性,操作性,観察能,記録性について検討した.われわれの経験したFCS-L3は,有効長1,310mmで,スコープ本体の硬変,弾性,屈曲性を3段階でスムーズな柔軟性のある曲線を持たせたこと,および従来の視野角75度から100度の広角にしたことにより,盲腸挿入率88.5%(46/52例),回腸挿入率61.5%(32/52例),回盲部平均到達時間平均13.8分と良好な結果を得た. 本器種は特に挿入性に優れ,操作性,観察能,記録性も良好な大腸ファイバースコープであり,深部大腸内視鏡検査に非常に適したスコープと考えられる.
  • ―1,000例の検討―
    武知 桂史, 山本 実, 加藤 隆弘, 今岡 渉, 奥田 順一, 井田 和徳
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1146-1154
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
     色素内視鏡検査による,胃底腺・幽門腺境界識別例1,000例を対象に,腺境界と胃・十二指腸疾患との関連性,腺境界識別の意義を検討した. 略正常者の腺境界は,全体的には加齢とともに口側へ移動していたが,Co型のみは40歳以上の各年齢層でほぼ一定の率(6~9%)でみられた. 胃・十二指腸疾患は,腺境界の上昇に伴い増加する群(胃癌,胃ポリープ),変化のない群(胃潰瘍),減少する群(十二指腸潰瘍,びらん性胃炎,Kammrötung)の3群に区別できた.胃癌のうち未分化型はC2~O3型の腺境界近傍に,分化型はO2~O3型の腺境界遠隔に多くみられた.胃潰瘍は各腺境界型にみられたが,慢性潰瘍の発生部位は,腺境界の上昇につれて口側に移動した.また,腺境界遠隔の幽門腺領域内には線状潰瘍が多く,他の領域より難治の傾向がみられた.十二指腸潰瘍にはclosed typeが96.4%と多く,瘢痕例ではこれが84.2%に減少していた. 腺境界の識別は,好発病変およびその好発部位の推測,腺領域を意識した系統的な観察を可能にし,胃・十二指腸疾患の合理的な診断と治療に有用である.
  • 古賀 成昌
    1982 年 24 巻 7 号 p. 1155
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
  • 1982 年 24 巻 7 号 p. 1156-1167
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
  • 1982 年 24 巻 7 号 p. 1168-1177
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
  • 1982 年 24 巻 7 号 p. 1177-1185
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
  • 1982 年 24 巻 7 号 p. 1186
    発行日: 1982/07/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
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