日本皮膚科学会雑誌
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68 巻 , 11 号
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  • 中野 進
    1958 年 68 巻 11 号 p. 759-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    1928年Flemingのより,最初の抗生物質としてペニシリン(以下ペと略す)が発見され,その卓越した抗菌作用により,多くの伝染性疾患にたいしておどろくべき治療効果を発揮し,従来不良の転帰をとつた疾患も多くは治癒し,その他の疾患にたいしても治療経過をいちじるしく短縮し,ペの普及は広くなつてきた.わが国においても戦後間もなくより少量ながら使用されたが,その後の生産の増加とこれにともなう低廉化により,その使用が広く一般に普及し,さらに注射薬としては水性のほかに油蝋・C油性或は懸濁性のペが製造されるにいたり,その使用法は一層簡単となり,加うるにペ軟膏あるいはペ目薬が出現し,しかもこれら薬剤の副作用は殆ど考慮する必要がない理由により,ペの使用は医師の手を経ず直接患者により使用される場合も多く,ある面においては濫用の傾向もみられるようになつた.まさにこの情勢にたちいたつた1950年頃より,ペによる副作用ともみるべき症状が出現するようになつたが,当初はなお重要視されず,ペの使用は以前にも増して盛んであり,その副作用もしだいに増加し,ついに1954年頃よりペ・アナフィラキシーショックによる死亡例も稀ならずみられ黙過しがたい情勢となつた.これより早く欧米においても,1943年頃よりLongその他によりすでにペの副作用例が報告されており,さらに1945年にはCormiaによりペ副作用中もつとも問題となるペ・アナフィラキシーの症例が,1949年にはWaldbottによりその死亡例が報告されている.以後今日にいたる間のペ副作用に関しては枚挙にいとまがないほどの報告がある.しかしながら,その副作用のゆえに,ペの有するすぐれた治療効果その他の利点を無視して,その使用を中止するがごときは医家としてとるべき態度ではなく,むしろさらにすすんでその副作用防止の措置をこうじた上で使用を続けるべきである.今後ペを使用するかぎりにおいて,その副作用を予防することが不可欠の重要事であり,この問題に関する諸家の検索も急となつてきたが,今なお解明しえない点も少なからずあり,ペ使用に際しての一大課題となつている.著者はこれらの観点から,臨床実験および動物実験により,ペの副作用にたいする薬剤による予防効果を検索し一定の結論をえたのでその他2・3の問題を併せ報告する.
  • 松山 雅彦
    1958 年 68 巻 11 号 p. 779-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    所謂アレルギー性皮膚疾患に於て個体に存在して疾患の発症に関与する性質としてのアレルギー乃至広義に於ける過敏症を証明する1手段として,抗原物質を以つてする皮膚反応或は皮内反応が古くから行われているが,陽性皮膚或は皮内反応を生ずる物質とその個体とを原因的に結びつけようとした初期の考え方は,最近では漸次修正される傾向にある.例えば乳児湿疹に高率に見られる卵白反応の陽性は,卵白が以前云われた様に湿疹の原因をなすことを意味せず,単に乳児皮膚素因を1表現するに過ぎずとする如き,その他一般にアレルギーの発生に於て素因となるものを求めんとする如きこれである.著者は・に所謂アレルギー性皮膚疾患に就て,その個体の健常皮膚が各種抗原に如何に反応するかを検索して,その面からこの種疾患の発症に関係する皮膚素因的なもの,又これ等各種疾患の間に見られる素因的差異を追求しようとした.そしてこの目的の為に7種の抗原物質,即ち食餌性物質として卵白,牛乳及び小麦粉,皮膚物質としてStorm抗原の他に乾性脂漏の鱗屑,乾癬の同じく,更に皮膚全層の夫々浸出液を以てする皮内反応を各種アレルギー性疾患の各年令層に亘る患者に試みた結果をこゝに報告せんとするものである.・にこの7種抗原を選んだ理由であるが,卵白,牛乳に於ては湿疹,特に乳,幼児湿疹に就てそれ等が特殊の意義を持つことが以前から伝われている.小麦粉も亦屡々アレルギー性湿疹その他の原因となる事は周知の如くである.Storm抗原が,その理由は充分明らかでないが,アトピー性皮膚炎乃至後期滲出性類湿疹の群に好んで選択的に陽性を示すことは周知の通りで,この種疾患を対象とする皮内反応の抗原としてはこれを省略出来ない.然して病的皮膚角質物質と皮膚全層物質とはこのStorm抗原に準ずるものとして使用した.
  • 畑 弘道
    1958 年 68 巻 11 号 p. 795-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    ここに皮膚pHと呼ぶのは皮膚の表面に薄膜をなして,皮膚を掩うて存在すると考えられる物質のpHの意義である.皮膚pHの測定は,1892年Heussが比色法を用いてなしたのが初めで,其後Schadeに依り検電的測定法が考案され,最近ではBlankのガラス膜電極を以てする検電的測定法が専ら行われている.Heuss以降皮膚pHに関する研究を発表した学者とその年代及び研究成績の要点を記すると,Heuss(1892)は皮膚pHを初めて比色法で測定,皮膚表面は酸性で,皮膚はアルカリ中和能を有すとした.のちUnna-Golodetz(1910)亦表皮の賛成を確認,Michaelis-Kramsztyk(1914)は全皮膚抽出液の,Talbert(1919)は汗の夫々pHを測定,Schade-Neukirch-Halpert(1921)は検電的測定を以て血液のpHを7.35~7.4,結締織のpHを7.09~7.29,表皮細胞の夫れを6.82とした.Sharlit-Sheer(1923)は比色法で健常皮膚のpHを5.4~5.6とし,Memmesheimer(1924)これを追試,確認した.Yamasaki(1924)は皮膚酵素の研究中,表皮浸出液のpHに,Schmidtmann(1925)亦健常及び病的細胞内pHを論じて皮膚pHに触れ,Schade-Claussen(1926)はキンヒドリン法を以て皮膚pHを測定,Hayashi(1927)は兎の皮膚pHを求めた.Brill(1928)比色法で健常皮膚pH値を6.0~7.0,Marchionini(1928)は5.0~3.0としたが,Marchioniniの所謂Sauremantelの説は皮膚pH問題に1エポックを劃したものである.Levin-Silvers(1932)はキンヒドリン法で健常皮膚pH値を5.0~5.3とし,北村,馬(1933)亦同法で日本人皮膚pHを測定,Burckhardt(1935)はアルカリ感受性ある者は皮膚アルカリ中和能が弱いとした,三木(1935)は比色法に依つて皮膚疾患病変部の汗のpHを,Blank(1939)はBeckman氏型pH meterを用いて少年及び壮年男女の健常皮膚pHを測定.Koch(1939),Schmidt(1941)は何れも健常皮膚pHを5.0~6.0とした.Draize(1942) は白人男女,黒人男子の健常皮膚pHを測定,Lang(1946)は皮膚表層角層pHを5.5,顆粒層のそれをpH 7.4とした.田中(1947)は健常値をpH5.0±×とした他,松本(1950)も亦健常値を求めんとし,Klauder-Gross(1951)は職業性皮膚疾患と皮膚pHとの関係を検討,特に皮膚アルカリ中和能を問題とした.Anderson(1954)は皮膚pH健常値を4.9~5.5とし,脂漏性皮膚炎の病変皮膚pHがこれを逸脱することを指摘,Jacobi(1951)は皮膚pH健常値を5.5~6.5,Schmidt(1952)は4.8~5.8,Arbenz(1952)は5.5±0.5とした.Schirren(1953)はガラス膜電極及びキンヒドリン電極を以てする皮膚pH測定値の差異を論じ,Cornbleet(1954)は酸外套と細菌との関係を,Jacobi(1954)はアルカリ性化粧料に因る皮膚障碍時の皮膚pHを検討するところがあつた.なお又,西牟田(1954)は健常皮膚pHを求め,津田(1956)は温泉浴が皮膚pHに及ぼす影響を検討した.初めHeussが皮膚pHを測定して知り得た,皮膚表面は酸性である”事実は,それ以後多くの研究者に依つて承認されるとともに,皮膚pHの研究はこの“皮膚表面は酸性である”ことの意義ずけと,その理由の探球へと発展した.この間Marchioniniが“皮膚表面は所謂酸外套Sauremantelによつて掩われ,このことは皮膚表面に於ける細菌の発育を阻止するに役立つ”と唱えたことは,彼が初めに考えたとは稍々違つた意味に於てゞはあるが,今日なお肯定されている.皮膚表面が酸性を呈する,その理由は,Levin-Silvers等が述べたように主として表皮角層及び汗にあるもののようで,但し2者の何れに重きを置くかは研究者によつて異なり,Andersonは表皮の有するProteinを,Spierは角層物質を,又,Brillは汗を重視し,Rothmanも亦汗を重んずるもののようである.
  • 姉小路 公久
    1958 年 68 巻 11 号 p. 818-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    湿疹の臨床病像は多種,多様,極めて複雑な感があるが,その1つの場合として比較的限局した湿疹病巣が膏薬又は掻破の刺戟に依り,或は何等原因なくして一見自発性に急に増悪,拡大すると,それに伴つて比較的遠隔の部位に突発的に播種状に小発疹の出現することがある.この種現象は固より以前からも知られていたが,比較的近年のことこれを呼ぶに,その発生病理を幾分説明する名称として,英米学派の自家感作性皮膚炎Autosensitization dermatitis或は自家湿疹化Autoeczematization,ドイツ学派の細菌疹Mikrobidが使用されるようになつた.先ず自家感作性皮膚炎であるが,自家感作Autosensitizationなる語は皮膚が生体自身の組織蛋白分解産物に感作される事を意味し,Whitfield,A.(1921)がこの語を初めて皮膚科に導入した時,彼は臨床的に3つの臨床例―それは同時に3つの病型となるものを記載している.即ち第1型.若い女性,クリケツトの球で■骨を強く打ち血腫を作つたが皮表は破損しなかつた.10日間何事もなかつたが,のち突然と麻疹様,紅斑蕁麻疹様の発疹が汎発した.Whitfieldはこの全身性の発疹は皮下出血部の破壊組織の吸収と関係があると考えた.第2型.中年の男.非化膿性の湿疹様皮膚炎が足にあり,既に適当な治療で略々治癒しかゝつていたが,入浴後タオルで摩擦すれば循環が良くなり早く癒ると考えてそうした所,局部が腫脹,出血し,湿潤さえした.11日後に全身に発疹,個疹は粟粒大出血性丘疹で,毛孔は蕁麻疹様に隆起し,瘙を伴つていた.第3型.足に水疱性湿疹のある中年の男子.水疱が破れて分泌物が流れ出ると,数分後その部に線状の紅斑,10分以内に蕁麻疹,次いで小水疱が発生した.Whitfieldはこの水疱内容を無菌的に採取し,自分の前膊に滴下したが何ら症状を呈さなかつたので,この患者だけが自身の組織産物に感受性があるのだと考えた.以上の観察が自家感作の発端であるが,Whitfieldは更に1926年,上記第2型に属せしむべき症例として,下腿の静脈瘤性湿疹の治療が不適当で局所が刺戟された時に,頚部及び上肢に丘疹,小水疱性湿疹が現われたが,原発巣の治癒するにつれ他の発疹は無処理のまゝ軽快するのを観察した.其の後暫くこの種の観察は余り注目されなかつたが,1935年に至りIngram,はWhitfieldのこのAutosensitizationに言及し,患者は自身の分泌物に特異的に感作されており,若し分泌物が皮膚の表面を流れるならば,発疹を起す外的誘因となり,若し血流に吸収されゝば,遠隔部位に発疹を誘発するであろうと述べ,且つWhitfieldの第3型に該当する症例を示した.其の説明にAutosensitization―linear eczema of arm,a sensitization reaction to a trickle of serum from weeping eczema of axillaとある.Whitfieldの第1型に該当するものとしては1936年Bizzozeroの自家血液の注射後に丘疹と膨疹を発生した報告例あり,Whitfieldの第2型に該当するものは1945年Smithが“Eczema autolytica”なる表題で精しく記載している.そしてその後はAutosensitizationと云えば専らこの第2型のものを指すことになり,第1,第3型に就ては関心が薄らいだものの如くである.そこでSmithの記載であるが慢性皮膚炎又は下腿の静脈瘤性湿疹が不適当な治療によつて増悪すると,その部から遠く隔つた身体の諸部位に急性に小水疱の散在する病変が発生する.病変は小さい紅斑を以て始まり,速かに丘疹,小水疱に変ずる.小水疱の発生は斯種病変の特徴であり,発生部位は前膊屈側を最初の夫れとすることが多く,次で顔面,頚部,躯幹に略々対称性に病変を生じ,自覚的には灼熱感,瘙,食慾不振,精神的不快又は苦悩,不眠等を訴える.
  • 水野 信行
    1958 年 68 巻 11 号 p. 849-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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  • 德永 博巳
    1958 年 68 巻 11 号 p. 869-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    Chlorpromazine(以下Cpと略)は1950年フランスのM.P. Charpenterによつて合成されたPhenothiazine系の化合物で,治療上Laborit et Huguenard(1951)によつてはじめて人工冬眠に応用されて以来,本剤の中枢作用と自律神経遮断作用は各方面の注目を浴び,ひろく用いられるようになつたが,臨床的には対症療法として使用される場合が多く,感染症にCpを用いたとしてもSchock防止などの補助的効果を狙うにすぎない.しかるに最近Cpを第一義的にある種の感染症に応用すれば,その体温ならびに代謝低下作用が感染を抑制または中絶しうるとの見解が文献上散見されるようになり,さらに抗生物質との併用により従来の動物実験における感染による斃死率を著明に減少させうるという報告もみられる.自然冬眠中の動物が細菌感染に抵抗することは古くから一部の学者にみとめられており,その感染抑制機転については動物を氷室にいれて冷却し,自然冬眠とほゞ同様の環境に保つて実験を行い,低体温による病原菌の生活力減弱を強調しているものがある.すなわちBlanchard(1906)は冬眠中のモルモットがTrypanosoma Brucei,Gambiense evansiの感染を受けても発病せず,病原体は4~9日で血中から消失すると報告し,Brumpt(1908)はヤマネズミの一種であるGartenschlagerをTrypanosoma Gambienseで感染させる場合,冬眠していない動物はすべて斃死したが,冬眠していたものは病原菌が血中から消失して死をまぬかれるのを観察した.またBillinger(1896)はモルモットの冬眠中において破傷風菌を注射すれば2週を経過するも症状をおこさなかつたが,これを覚醒せしめると2~3日後に死亡すると報告した.Dujardin-Beaumetz(1912),Zaboiotony(1928)らはペスト感染に対して冬眠中の山モルモットは覚醒せるものに比し慢性の経過をとることを報告し,冬眠中の動物の体温低下と血流の緩徐とがペスト菌の繁殖ならびに汎発感染を困難ならしめるものと推定した.本邦においては満州産畑栗鼠の冬眠とウイルス感染症である鼠径リンパ肉芽腫感染の消長を追究せる秋山の研究があり,冬眠が20日以上におよぶ畑栗鼠は覚醒後も無症状に経過し,累代接種による病原性検索においては20日以上の冬眠により全く消滅するを観た.その機転については氏は体温ならびに代謝低下,呼吸血流の緩徐など極度に制限された生活状態における内分泌の変化が重要な意義を有するものと推論した.Spirochaetaに関してはJahnel(1935)の研究があり,Siebenschlafer,BaumschlaferにあらかじめSpirochaeta pallidaを接種して冬眠に入らしめると,その病原性を喪失すると発表して注目をひいた.すなわち接種後4週以上におよぶ動物を5ヵ月の冬眠を営ませた後に殺し,その内臓,脳質を健康家兎の睾丸に移植し5~6ヵ月観察したが梅毒腫は形成されず,顕微鏡的にもSpirochaetaを発見出来なかつたに反し,対照覚醒動物或は人為的に早期に冬眠より覚醒せしめた動物においては梅毒腫ならびにSpirochaetaは陽性を示し,また接種後長期の冬眠を継続せる動物の内臓は家兎睾丸に対して何等病原性を有しなかつたものと推論し,梅毒病原体は接種後長期の冬眠を営ませた動物においては病原性を消滅するものと述べている.
  • 植松 一男
    1958 年 68 巻 11 号 p. 894-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    真菌症の正確な病理学的診断には,病巣における真菌の証明がその根拠となる.病巣よりの真菌の証明は,1つは組織片における菌要素の検出,2つには病原真菌の分離とその同定である.このうち培養による病原真菌の分離は一般にはかなり困難なことが多く,白癬症の場合についていえば直接鏡検で真菌陽性のものの40~60%程度しか培養陽性をえない.かような点から組織内の真菌の鏡検が真菌症の臨床診断に重要な手段となるわけである.真菌症を便宜上,表在性のものと深在性のものとに2大別すると,浅在性真菌症のうちで最もありふれた疾患は皮膚における白癬症であり,その診断は病巣の鱗屑,毛髪,爪甲などの病的材料の鏡検により菌要素を証明することにより確定する.その場合一般には苛性カリ法による無染色標本が用いられているが,これを染色して検査すればはるかに良い成績がえられるし(Kligman 1951,Muskatblit 1953),また組織切片による病理組織学的検索にはつねに真菌染色が要求される.なおまた深在性真菌症の場合は,病理組織検査がより一層必要であり,Kade(1955)ものべているように,1950年代にいり深在性真菌症は増加の傾向をみせているが,とくにこれには抗生物質の使用が大きな役割を演じている.これらのものは臨床的所見あるいは肉眼的所見から真菌の存在が全く予測できないことが多いために的確な真菌染色法が要望される.著者は一般に行われてきた真菌染色法と最近の組織化学的な方法を用いて真菌染色を行い,これらの染色法の比較,評価をこころみるとともに,新たに簡易なる真菌染色法を考案したので,各種の病的材料に用いその成績を検討した.
  • 1958 年 68 巻 11 号 p. 165e-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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