日本皮膚科学会雑誌
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69 巻, 12 号
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  • 伯川 貞雄
    1959 年 69 巻 12 号 p. 1753-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    瘙が皮膚の疼痛神経終末により受容されることは一般に認められ,又Rothman,Graham,山碕は臨床的瘙の多い皮膚組織内,殊に表皮内に於ける化学的刺戟によつておこるとし,その化学的刺戟物質を瘙物質と呼ぶことにして,その主要な瘙物質は蛋白代謝産物を指摘することが出来ると述べ,アミノ酸ポリペプチード,蛋白質(蛋白分解酵素を含む),ヒスタミン,アセチルコリン,リボ核酸等をそれに所属させ得るとしている.生体内に於てこれら蛋白代謝に蛋白溶解酵素が関與していることは種々の実験により明らかである.Ungerは炎症を組織蛋白の崩壊によりおこることを主張し,その発現因子を蛋白溶解酵素の活性化に求めている.最近Shelley及びArthurは瘙は蛋白溶解酵素によりおこることを実証し又推論している.Cormiaも同様な見解を発表し,瘙の発生機序に蛋白溶解酵素を重要視している.即ち,瘙の発生を蛋白溶解酵素学的に解明せんとしている.生体内の蛋白溶解酵素は血清,白血球,皮膚をはじめとし,各種組織に含有され,これらは組織障碍により遊離されるキナーゼ,或は細菌性キナーゼにより活性化されてくるが,その蛋白溶解酵素によりおこる瘙の発現機序についての実驗には未だ接しない.著者は人血清,モルモット血清を主体とする各種動物血清よりバリダーゼ(ストレプトキナーゼ)或はペプトン賦活法により血清蛋白溶解酵素を活性化し,その起痒性,瘙の発現機序について実驗を行つたので,ここに報告する.
  • 松山 隆三
    1959 年 69 巻 12 号 p. 1763-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    皮疹並びに皮膚病変全体としての性狁の形態学的現象を,能うる限り精密に観察,記載し,更に病変部皮膚を病理組織学的に檢査し,その異同によつて疾患の異同を論じ,原因を採し,治療を行うのが皮膚科の主なる仕事であつた.即ち皮膚科学は形態学的病理学に基礎を置いた記載皮膚科学であつた.近年に至り生理学的,生化学的方法をとり入れた新しい病理学の分野の発達と共に,皮膚疾患の病態生理学(生化学)的檢索が注目される様になつた.こゝで云う病態生化学的檢索とは,皮膚疾患々者の血生化学的檢索でなく,主として病変局所皮膚,即ち場,lesionの生化学的変動の追求を指すことにした.斯る意味での皮膚疾患の病態生化学的研究,即ち皮膚代謝の研究は,かなり以前から一部の人により注目されていた.又近年に至りRothman一派の廣範な研究があるが,未だ解明されない所が極めて多い現況である.著者は当教室に於ける皮膚代謝に関する研究の一環として,皮膚の含水量,Na,K,Ca及びMgを家兎,ラツテの生理的,或は外来諸刺戟並びに内臓諸器官障碍等の病的諸條件下にて測定し,更に人体皮膚の正常値,2,3皮膚疾患に於ける夫れをも測定し,之等物質の皮膚代謝に就て若干の基礎的知見を得たので,・に報告する次第である.
  • 佐藤 吉昭
    1959 年 69 巻 12 号 p. 1784-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    1951年H. Michlによつて高電圧濾紙電気泳動法が行われて以来,本法はO. Westphal(1952),F. Turba et al.(1954),L. Heilmeyer et al.(1954).G. Lange(1955),T. Wieland et al.(1955).K. Dose(1956)らによつて種々檢討,改良がなされ既に幾多の実驗報告がる.本邦においては佐野がこれを紹介報告している.が,本学医学部生化学教室においても1955年以来本法に注目してこれを改良し,宮本・坂岸らによつて新しい水平方式の装置が完成,既に多くの報告が発表されている.本法による濾紙電気泳動の特徴は,從来の低電圧濾紙電気泳動法では鮮明な泳動像が得られなかつたところの比較的低分子物質が,短時間で且つ鮮明な泳動像として得られることである.宮本らは,この際懸垂法では從来のペーパークロマトグラフィー様の影響が出ることを考え,又濾紙の泳動液による濕潤度が大きすぎて通電量が過大となること,及び泳動液層の濾紙上における厚さの不均等から最も薄い液層部の過熱が起ること等々…懸垂法の欠点を改良するべく水平法を完成したのである.著者は近年とみに関心の高まりつゝある皮膚の生化学的研究分野に本法を應用した.殊に本法がその遊離アミノ酸分劃の檢討に対し,從来の方法に比して極めて優れた方法であることは既に著者が角質層を用いた予備実驗で報告した通りであるが,其後引き続いて表皮遊離アミノ酸について実驗を進め2,3の知見を得ることが出来たので・に報告する.
  • 澁谷 博
    1959 年 69 巻 12 号 p. 1791-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    Sporotrichosisは主としてSporotrichum schenckii(1898)に困る慢性真菌症で,本邦に於てもその報告例は大正8年西沢,田邊兩氏の4例以来70例を越す.しかしながらしばしば遭遇する疾患とは云えず,診断が確定された本症は大概報告されている現狁である.このことは本症がその原因,症狁,治療,菌学についていずれも殆ど究明された感があつても,なお軽視することの出来ない興味深い疾患であることを意味しているものであろう.患者は群馬大学皮膚科教室に於て,群馬縣内に在住する者に発生した本症の観察が9例にも達したので,その経験から2,3の考察を行ない,且つその1例より得た原因菌を著者自身の皮膚に接種してその人体皮膚に対する病原性を確認し得たところをも報告し,更に本症の特効藥とされる沃度加里の奏効機序を知るために行なつた試驗管内実驗の成績をも記載したいと思う.
  • 杉山 静也
    1959 年 69 巻 12 号 p. 1810-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    皮脂腺(以下脂腺と略す)はすべての哺乳動物の皮膚に存在する.それはホロクリン腺であり,腺細胞の崩壊によつて排出が行われるものである.脂腺は発生学的には,Marksの所謂胎生的種子層Embryonal stratum germinativumより分化した原始的上皮芽細胞Primary epithelial germ cellsから発達してくる.又原始的上皮芽細胞から分化した毛芽hair germは,脂腺を形成する能力を持つている.脂腺の発達過程はZimmermann(1935)によれば,毛索に輪狁の隆起が発生し,この脂腺の芽がカラー狁に上方乃至は下方に突出する.耳,眼瞼,眉毛部,頬部,頭部に於て斯るカラー狁突出が著明である.毛索に於て毛が分化し始めるやいなや,この小さな脂腺の細胞にすでに脂肪滴が現われ始めるのである.毛管への腺の開口はこれより後に見られるという.一方毛嚢と関係のない独立脂腺の形成については,Hoepke等が報告している.即ち表皮からやゝ巾廣い表皮索として生ずる.独立脂腺の一部は,初期にはやはり毛原基に附属して発生するものがあるが,後に毛原基は遺残的になるか,又は全く退化して脂腺のみ独立するらしい.最初分岐していない單一の桿棒狁の腺が,次第に大きくなり脂腺細胞への分化を示し乍ら,更に複雑な分岐をした複合腺に生長してゆく過程については,今日2つの機構が唱えられている.Brinkmann,Schaffer,Clara等は周邊からの隔壁形成によると考えているが,一方Neubertは,この他に腺頸部の側方に分岐を生じ,その分岐の活発な細胞増殖によつて複雑な胞狁腺に生長するとしている.以上の如く,脂腺の分化発達生長には毛嚢が重要な関聯性を有していることがわかる.ひるがえつて,1個の完成された脂腺はその機能として腺細胞の崩壊,排出を恒常的に行つているものである.この失われた細胞の補充即ち生理的再生の問題がこゝで重要になつてくる.これについては,腺体の周邊部を構成している基底細胞の細胞分裂によることゝ,腺頸部近傍の排出管上皮細胞の細胞分裂によつて生じた細胞が,腺体に滑降して行われることが考えられている.その後これが周邊細胞及び排出管上皮細胞の兩者の細胞分裂によることが観察された.これらは,それら部分の細胞分裂像の把握が基礎になつているのであるが,正常標本下に於て細胞分裂像に遭遇することはごく稀である.私は,白鼠皮膚の組織標本に於て,脂腺の生理的再生乃至増生過程が,從来考えられていたものより異なる型式までも行われていることを知り,且この場合の脂質の変遷について興味ある所見を得たので報告する.
  • 加藤 平太
    1959 年 69 巻 12 号 p. 1820-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    1895年RontgenによりX線が,つづいて1898年Curieによりラヂウムが発見され,それ以後これらは種々の疾患の治療に廣く利用せられ今日に至つている.我國に於てはじめてX線療法を行つたのは岡村氏で,Wienに於ける実習後にその理論と技術を紹介し,次いで故遠山教授が1906年皮膚結核病群,Favusに対し本療法を行われた.ラヂウムは1909年故三浦謹之助教授,1901年故真鍋嘉一郎教授が内科疾患に,次いで故土肥教授が1912年,皮膚疾患にこれを應用せられたのが本邦における嚆矢である.1919年Rutherfordは,窒素にRadium C'よりのa線を照射し硫化亞鉛の膜面に閃光を観察した.それ以来核反應に関する研究がなされ,1933年には,I. Cuvie,&F. Joliotにより人工放射性物質が発見せられた.次いで今次世界大戰後,人工放射性物質が自由に大量に製造せられるようになつて,これが皮膚疾患の治療にも廣く應用せられる様になり,一方X線に於ては,Lindemannガラスに代つて,Beryllium-Windowが使用される様になつた爲,超軟X線が普及するなど,皮膚科に於ける放射線療法は著しく変貌しつつある.一方,放射性物質汚染に伴う人体障害も,大きい社会問題となりつゝある.かかる現狁に鑑み著者は,新しい放射線医学の立場から,放射線による皮膚の変化,乃至その障害を組織学的に檢討しその本態を把握せんとこころみた.皮膚に対する放射線或は放射性物質に対する組織学的研究はX線発見後まもなく,数多くの研究者により,檢討せられて来たが,初期の研究は放射線発生の條件,線量,線質等について今日程の明確な記載がなく,近代医学に立脚して行なわれた実驗はわずかにWarren,Montgomery等本邦に於ては市川,小島(境界線),小堀(近接照射,P),鈴木(X線),廣石(Sr)をあげるにすぎない.又Montgomeryが指摘している如く皮膚,就中表皮に対する放射線の影響は動物実驗により得られたものをそのまま,直ちに人体皮膚に應用しえない,文献を考察すると,この間に混亂があり,特に皮膚の変化を招来する線量について意見の特異があると思われる.ここに於て著者は人体皮膚に対し放射線を照射しその影響を詳細に檢討せんと試みた.本報告は紫外線並に,電離線照射により表皮マルピギー細胞が如何なる影響を受けるかを檢討したものである.
  • 1959 年 69 巻 12 号 p. 267e-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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