掌蹠に於けるpigment spotは從来極めて稀なものとされていたが,注意して観察すれば時に発見する事が出来る.川村は集団檢診に於いて掌蹠に存在するpigment spotを4,682名中403名(8.6%)に発見し,佐々田はpigmented nevi患者2,238名中手掌に6名(0.27%),足蹠に4名(0.18%)を発見した.更に口唇,口腔粘膜に於けるpigment spotは生理的にも存在する事があり,峯は日本人1,425名を調査し,458名(32%)にpigment spotを証明した.此の内77%は頬粘膜に存在する.斯くの如く掌蹠,口腔粘膜のpigment spotは生理的か,又病的なものかの判断は難しく,故にPeutz-Jeghers' Syndromの診断は,外表的な変化を以て下し難く,從つて現在迄の報告は数少い.内外の文献を照覧しても僅か50例余りで,然も確実なpolypの証明をしているものは10例位である.本症を推測せしめる報告はHutchinson(1896)の口囲に特種な色素沈着を有する双生兒例を以て嚆失とする.其の後Weber(1919)は此の双生兒の1人がintussusceptionで死亡した事を報告した.然し本症例では死後腸管polyposisの檢証はないが,其の記載より推して恐らく本症に罹患していたのではないかと考えられる.Peutz(1921)は口,手,足の色素沈着及びこれに関連する腸管polyposisを示す同一家系の数名を報告した.Van Dijk & Qudendal(1925)は口唇に色素沈着を有する兄弟がintussusceptionを起し,外科的に追求した結果,腸管にadenomasを見出した.Foerster(1926)はnevi spiliとして全身特に顔,手,口腔粘膜にpigment spotを多発した1女性例を供覧し,Siemens(1928)は自驗例3例を追加し,此の様な症状をephelides inversaと稱えた.Foester(1944)も口囲の特異な色素沈着を有する父娘に腸管polypを発見し,父の兄弟も亦腹痛と血便に惱まされ,彼等の子供にも口腔粘膜,口唇の色素沈着と腹痛があつた事を記載している.Touraene et Couder(1945)は同様なsyndromの1例を述べ文献的考察をなしている.Jeghers et al.(1949)は1944年以来10例の自家經驗例を詳細に檢討し其の遺傳的態度を追求した.彼等は此のsyndromの必須條件としてbuccal mucosal pigmentationを強調した.Tanner(1951)の症例報告は略々完全に本症のsyndromを具えている.Wolff(1952)はintussusceptionの反復の爲数囘の手術を受けた50才の男子例を述べ,5人の子供の内3人が顔面又は掌蹠に以上色素沈着を持つていた事を報告している.Perry(1950)は遺傳的関係を全く持たない10才の男子例を擧げ,突発例としている.彼の記載はレントゲン写真と切除polypの病理組織学的所見に迄及んでいる.Millerd & Troxell(1954)のは77才の白人例で,最年長であり,直腸に発生したpolypは惡性であつたと云つている.本邦に於いては森(1948)が掌蹠,口唇色素斑の1例を述べ,pigmentがcrista profunda intermediaに限局し,此の現象はAtavismusと考えるべき事を強調した.長州と阿部の母子2例は本邦に於ける最初の報告例である.其の後山碕等が2
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