1937年,Behcetは“Uber rezidivierende aphthose,durch ein Virus verunsachte Geschwur am Mund,am Auge und an der Genitalien” として2例を記載,その後4例を追加して,これを新しい疾患単位とし,Triple Symptom Complex と稱した.即ち第1例は20年の長い経過を有する40才の男子で,始め下腿に結節性紅斑様(以下EN様紅斑と略す)の有痛性結節を生じ,次いで口腔,粘膜,外陰にアフタ性変化を生じた.眼病変としては,皮疹の出現時に結膜の炎症を繰返し,後に角膜周雍充血から前房蓄膿を惹起し,最後に漿液性紅彩炎となり,時に網膜出血を伴い,虹彩切除術を行つたが遂に失明した症例である.第2例は経過7年の34才女子で,始め外陰部に潰瘍を生じ,Ulcus vulvae acutum Lipschutz (以下U.v.a.と略す)が疑われたが,b\々再発し,次第に口腔粘膜のアフタ,結膜炎,角膜炎,上鞏膜炎を生じた症例である.Behcetはこれ等2例の口腔及び外陰の潰瘍から多数の白血球,上皮細胞,球悍菌の他に,Giemsa及びHerzberg染色により,多数の赤紫色(Giemsa),円形の痘瘡基本小体と略々同大の,Virusの封入体と思われる物質を細胞内外に発見し,しかも局所療法が無効で全身療法により再発の間隔を延し得たことから,或る種のvirusの全身感染によつて生じた新しい疾患を想定したものである.Behcetはその後数年間に症例を追加して,長期間再発を繰返し,次の3徴候を有する独立疾患であるとの確信を得た.即ち1)口腔粘膜のアフタ性変化,2)外陰潰瘍,3)虹彩炎,であり,その中虹彩炎は必ずしも存在しないという.Behcetは該症候群がVirusによつておこること,及び眼の変化が虹彩,毛様体,鞏膜,網膜,視神経に生ずることに依り,既存の他の症候群―Ectodermose erosive pluriorificielle Rendu et Fiessinger,Dermatortomatitis Baader,Stevens-Johnson症候群,U.v.a.等―と区別したものと思われるが,残念乍ら詳しい鑑別診断の記載は見当らない.Behcetの記載した如き,かゝる眼変化を具有する症候群はそれ迄報告されてなかつた訳ではない.即ち皮膚科領域では1922年,Planner&Remenovskyは口腔粘膜,外陰に潰瘍,躯幹に紅斑,小膿疱,兩側虹彩炎を有し,発熱を以て発病,5週の経過で治癒した25才既婚女子の症例を,Aphthosis acuta Neumannとして記載している.NeumannのAphthosisは口腔粘膜,外陰に急性にアフタ性潰瘍を生じ,その際皮膚にEN様紅斑または膿疱丘疹性発疹を伴い,数週で治癒する疾患を意味するが,これはBehcetの記載した疾患の眼変化を欠く場合に相当すると思われる.またWhitwellは1934年に再発性口内潰瘍につき詳説を行つたが,その症例中には16年間にわたつて虹彩炎,口内潰瘍,膿疱丘疹性及びEN様紅斑を再発性に生じているものが含まれ,これはBehcetの記載と略々同一の疾患と思われる.遡つて眼科領域よりこれを見るに,久しく問題となつていた再発囲前房蓄膿性虹彩炎或は葡萄膜炎(以下再前ブと略す)を中心とした症候群がある.これは1879年BietischによりIntermittierendes Hypopyomとして始めて記載された疾患であるが,この再前プにEN様皮疹の合併せる症例はつとにReis(1906)Koeppe(1917)等の報告が散見される.而し兩者の関係を適確に指摘したのはGilbert(1920)である.Gilbertは再前ブに発熱を伴つて膿疱及び小庭腫を合併した症例に於て,兩者の関係を重視して,本症を廣義の敗血症の部分現象であるとし,これをIritis septicaと呼んだ.次いで1922年Stahliは虹彩炎を経過した後,骨結核が
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