日本皮膚科学会雑誌
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69 巻 , 9 号
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  • 西山 茂夫
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1139-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    1937年,Behcetは“Uber rezidivierende aphthose,durch ein Virus verunsachte Geschwur am Mund,am Auge und an der Genitalien” として2例を記載,その後4例を追加して,これを新しい疾患単位とし,Triple Symptom Complex と稱した.即ち第1例は20年の長い経過を有する40才の男子で,始め下腿に結節性紅斑様(以下EN様紅斑と略す)の有痛性結節を生じ,次いで口腔,粘膜,外陰にアフタ性変化を生じた.眼病変としては,皮疹の出現時に結膜の炎症を繰返し,後に角膜周雍充血から前房蓄膿を惹起し,最後に漿液性紅彩炎となり,時に網膜出血を伴い,虹彩切除術を行つたが遂に失明した症例である.第2例は経過7年の34才女子で,始め外陰部に潰瘍を生じ,Ulcus vulvae acutum Lipschutz (以下U.v.a.と略す)が疑われたが,b\々再発し,次第に口腔粘膜のアフタ,結膜炎,角膜炎,上鞏膜炎を生じた症例である.Behcetはこれ等2例の口腔及び外陰の潰瘍から多数の白血球,上皮細胞,球悍菌の他に,Giemsa及びHerzberg染色により,多数の赤紫色(Giemsa),円形の痘瘡基本小体と略々同大の,Virusの封入体と思われる物質を細胞内外に発見し,しかも局所療法が無効で全身療法により再発の間隔を延し得たことから,或る種のvirusの全身感染によつて生じた新しい疾患を想定したものである.Behcetはその後数年間に症例を追加して,長期間再発を繰返し,次の3徴候を有する独立疾患であるとの確信を得た.即ち1)口腔粘膜のアフタ性変化,2)外陰潰瘍,3)虹彩炎,であり,その中虹彩炎は必ずしも存在しないという.Behcetは該症候群がVirusによつておこること,及び眼の変化が虹彩,毛様体,鞏膜,網膜,視神経に生ずることに依り,既存の他の症候群―Ectodermose erosive pluriorificielle Rendu et Fiessinger,Dermatortomatitis Baader,Stevens-Johnson症候群,U.v.a.等―と区別したものと思われるが,残念乍ら詳しい鑑別診断の記載は見当らない.Behcetの記載した如き,かゝる眼変化を具有する症候群はそれ迄報告されてなかつた訳ではない.即ち皮膚科領域では1922年,Planner&Remenovskyは口腔粘膜,外陰に潰瘍,躯幹に紅斑,小膿疱,兩側虹彩炎を有し,発熱を以て発病,5週の経過で治癒した25才既婚女子の症例を,Aphthosis acuta Neumannとして記載している.NeumannのAphthosisは口腔粘膜,外陰に急性にアフタ性潰瘍を生じ,その際皮膚にEN様紅斑または膿疱丘疹性発疹を伴い,数週で治癒する疾患を意味するが,これはBehcetの記載した疾患の眼変化を欠く場合に相当すると思われる.またWhitwellは1934年に再発性口内潰瘍につき詳説を行つたが,その症例中には16年間にわたつて虹彩炎,口内潰瘍,膿疱丘疹性及びEN様紅斑を再発性に生じているものが含まれ,これはBehcetの記載と略々同一の疾患と思われる.遡つて眼科領域よりこれを見るに,久しく問題となつていた再発囲前房蓄膿性虹彩炎或は葡萄膜炎(以下再前ブと略す)を中心とした症候群がある.これは1879年BietischによりIntermittierendes Hypopyomとして始めて記載された疾患であるが,この再前プにEN様皮疹の合併せる症例はつとにReis(1906)Koeppe(1917)等の報告が散見される.而し兩者の関係を適確に指摘したのはGilbert(1920)である.Gilbertは再前ブに発熱を伴つて膿疱及び小庭腫を合併した症例に於て,兩者の関係を重視して,本症を廣義の敗血症の部分現象であるとし,これをIritis septicaと呼んだ.次いで1922年Stahliは虹彩炎を経過した後,骨結核が
  • 小林 健正
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1186-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    皮膚の多糖類には周知の如く(1)表明細胞中に予備含水炭素として存するグリコーゲン(以下グと略す)―4~14×105の分子量を有しブドウ糖分子より成る―と,(2)結合織基質―この生物学的に色々な意味を持つ基質なる語ては線維間腔を滿す半液体の無定形物質の真皮に於ては線維間腔を滿す半液体の無定形物質を意味する―として蛋白質と結合した種々の量の含水炭素が存する.後者は一般に粘素(Mucin)として理解されているもので,化学的には酸性と中性の糖蛋白質(Glycoprotein)に分れ,いづれもHexosamineを持ち,蛋白複合体でないものは粘液多糖類(Mucopolysacoharides)と云われる.之等のうちで皮膚に関係するのは多糖類酸としてグルクロン酸を有する酸性粘液多糖類(以下A.M.P.と略す)であつて,その主なるものには:(1)ヒアルロン酸:Hexosamineとしてd-Gluco-samineを有し,分子量は3~5×105である.中性では強い粘稠性を示し,その重合度や蛋白質との結合状態は組織によつて著しく異る.ヒアルロン酸は硝子体,Wharton氏膠様質,鶏冠,関節滑液,椎間板の髄核,皮膚の中胚葉腫瘍に豊富に存するが,コンドロイチン硫酸と共に細胞と線維要素との間に存する線維間基質の主成分であつて,ヒアルロン酸の含有度とその重合度は基質の粘稠度と透過性を支配し,物理的状態の変化が可能なので組織の水分含量の調節に重大な役割を演じている.猶ヒアルロン酸はヒアルロニダーゼによりグルクロン酸とN-Acetyl-Glucosamineとに分解される.ヒアルロン酸のモノ硫酸エステルはムコイチン硫酸である.(2)コンドロイチン硫酸:N-Acetyl-d-Galactosa-mine,d-グルクロン酸及び硫酸の等分子より成り,分子量は2~3×105で,他の高重合の硫酸エステル(ヘパリン,ヒアルロン酸)の如くToluidine blue(以下Tと略す)に対して異染(Metachromasia)を示し,睾丸ヒアルロニダーゼ(以下T.H.と略す)には加水分解されるが,連鎖球菌ヒアルロニダーゼ及び肺炎球菌ヒアルロニダーゼには加水分解されない.その硫酸塩はT.H.で加水分解されるコンドロイチン硫酸塩A及びCと加水分解されないコンドロイチン硫酸塩Bの3型がある.(3)ヘパリン:d-グルクロン酸,d-Glucosamine及び硫酸より成る1種のイチン硫酸で,皮膚では肥肺細胞の存在と関係し,凝血阻止作用の他に線維素分解能阻止殊にヒアルロニダーゼ抑制作用を有し,ヒアルロニダーゼ系に関係する.が挙げられるが,今日では未だ皮真の多糖類を悉く証明し盡すことは猶不可能である.然し可成り古くから之等の1部を組織内に証明する方法―例えば沃度反應,Bestのカルミン染色,ムチカルミン染色,塩基性色素の異染―が知られて居り,更にMcManus,Lillie及びHotchkissの導入した過沃度酸Schiff(以下PASと略す)反應,異染機構の或程度の解明,酵素の利用が最近に於ける皮膚の形態学的研究に1時期を劃せしめたことは周知の事実である.而してBraun-Falcoは今日各種の含水炭素及び糖蛋白質を証明する核心となる方法として(1)異染,(2)PAS反應,(3)組織酵素的処置を挙げて居り,私もこの方法を踏襲して多少の組織化学的知見を得たので報告したい.
  • 井手 次郎
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1207-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    人工放射性同位元素の医学への應用は,1937年Lowrenceによつて放射性P32が慢性淋巴球性白血病の治療に始めて利用された.皮膚疾患に対する應用は,1941年Low-Beerによつて初めて使用された.その初期に於てはP33溶液を軟膏に混和し,或は脱脂綿又は綿布に浸込ませてこれを患部に貼付して治療を行つた.その後彼はP32溶液を濾紙に均等に浸込ませて乾燥したものを患部に密着貼付して表面照射を行う方法を考案し,これによつて皮膚癌,角化症,血管腫等の治療に應用した.その後,1952年Sinclairは赤燐を均等に含む柔軟性の合成樹脂板Polythensheetを直接原了濾内で放射性とし,これを病巣に貼付して皮膚癌,尋常性乾癖等の治療に應用した.本邦に於ては,昭和25年欧米より放射性同位元素の輸入が開始されるや,山下,大塚,小堀,中島等によつて血管腫,色素性母斑等の皮膚疾患の治療成績が報告された.その卓越せる効果が認識されるや,各医療機関に於て廣く利用されつゝある.しかし乍ら1面に於ては,X線の過照射による皮膚障碍発生と同様にP32の表面照射による障害発生も皆無ではなく,最近では明らかに過去に於ける過照射が原因と思われる皮膚障碍の例も報告され,その使用法についても警告がなされつつある現状である.著者は先人の業蹟を參考とし,更に将来の障碍発生予防という点を考慮して,昭和31年8月より昭和33年12月迄P32の表面照射によつて各種皮膚疾患390例に治療を行い,治療終了後6ヶ月以上の経過を観察し得た144例についてその成績を報告する.なお著者は実験的研究としてP32の線源を家兎の耳に一定時間貼付して表面照射を行い,肉眼的,組織学的変化を檢討し,さらにP32の組織内照射の1方法として,P32を含有する木綿糸を家兎の耳の皮下に一定時間埋没β線による組織内照射を試み,照射部が肉眼的及び組織学的に受ける影響を観察すべく実験的研究を行つたので,こゝに伴せて報告する.
  • 三橋 慎一
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1230-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    第1節序1925年Seidell,Smith-HendrickがビタミンBが單一でないことを述べ,1926年Shermanは当時の所謂易熱性Bである“F”,耐熱性Bである“G”を各々Vitamin B1,Vitamin B2と名付けた.(以下單にB1,B2とする.1933年Gyorgy,Kuhn,JaureggはB2が黄色で水溶性且つ黄緑色螢光を有することを知りこれをFlavinと称し,卵白より得たものに対してOvoflavinの名を冠した.この間1933年,Warburg&Christianは酵母より黄色酵素を抽出,1935年Theorellにより,これがEllinger&Cocharaの言う乳汁よりのFlavin,即ちLactoflavinを含有することが明らかにされた.その後Kuhn,BongaのLactoflavin-5'-phosphateの合成,Warburg&ChristicnによるAlloxazine-Adenin-Dinucleotide(前者は現存のFMN,後者はFAD)の発見を見るに至り,ビタミンB2の生化学的研究は急速な発展を遂げた.そもそもB2は生体内に於て論種脱水素酵素の補酵素として作用するため,これが欠乏又は代謝障害は,生体に著しい影響を與える.この補酵素となり得るためにはB2は遊離の型から腸内でFMNとなり,更に肝その他でFADに変化することを要し,B2のまゝでは酵素作用を発揮し得ないとされて居る.他方既に1911年Stannus1はNyasalandに於て,口唇,眼瞼,陰部を来る炎症性の疾患を記載し,何等かの栄養因子の不足がこの種病変を惹起せしめることを推測し,1938年に至りSebrell&Butlerの有名なる人体実験により,B2欠乏症の臨床像が把握せられ,これに続いてKruse,Sydenstrickerその他はB2欠乏時の眼変化を記載し,Ariboflavinosisの概念が漸次確立されるに至った.我國に於ても竹内教授は夙に諸種ビタミン欠乏時の変化を詳細に記述したが,中川は数次に亘る失敗を重ねた後,遂に日本人に於けるB2欠乏人体実験に成功し,増田のシビ・ガッチヤキ症の研究,安田の各種皮膚疾患時のB2代謝の報告,友田・川淵の炎症性皮膚疾患時の血中B2減少傾向,藤田のポルフィリン代謝とB2との相関,安岡の皮膚炎時の局所皮膚B2の態度の報告等,数々の皮膚疾患とB2との関係についての発表を見た.又詫摩,斎藤その他は小兒のB2代謝障碍の臨床観察により,本邦各地にB2欠乏症がおり得ると報じて居る.余は茲にB2欠乏の臨床像の概略を述べて見たいと思う.口唇・口角:主として下口唇及び兩口角の発赤,亀裂,湿潤,痂皮形成等が認められる.舌:初め舌尖乃至は側縁に充血及び茸状乳頭の腫張,次いで紫赤色となり,変化は全舌背に及び全体として腫張又は浮腫を認める.更に経過すると乳頭萎縮を来す.眼:角膜下縁より始まる血管新生が特異と言われて居る.自覚的には覗力減退,差明がその主なものである.皮膚:鼻唇溝,鼻翼,耳周囲,眼周囲等に淡紅色,微細な鱗屑を伴う紅斑,時にKomedo を認めることもある.好発部位は上記の如く顔面であるが,陰部にも同様皮疹を生じ得る.これ等の所見は,いづれもB2欠乏症診断の重要なる根拠を與えるものであるが,逆にこれら症状の1つ又は2つ以上があっても直ちにB2欠乏と言えない場合が多いことは衆知の事実である.従ってB2代謝状況の判定は,血中B2又は尿中B2の定量成績に従わなければならないが,現在は尿中B2による判定には多くの誤りを
  • 本間 真
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1258-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    瘙の生理及び病理に関してはなお究明すべき点が少なくなく,皮膚科臨床に於ては夫々の瘙の発生機序を明らかにすることは難問題ではあるが,甚だ重要なことである.しかしながら單に瘙性皮膚疾患の日常の臨床観察のみからは,それらの病的瘙が如何なる機轉によつて発生するかは窺知し難いのであつて,これには夙に山碕教授の主張される如く基礎的の実験的知見を手懸り參考とすることが必要となつてくる.著者が茲に未解決の山芋の起痒性についての問題を採り上げる機会を與えられたのも瘙の発生病理に寄與する知見を得んがためである.山芋を卸し金で卸したもの(以下トロロと記載)を食べるに際し,それが口唇に附着して痒みを覚えることや,トロロを皮膚に塗擦すると間もなく常に激しい痒みを発生してくることは周知のことと看做される.しかしながらその痒みの起る機序については全く不明であり,何等の報告もなされていない.最近著者はその起痒性の有力な原因を闡明することが出来たので,ここにその詳細を報告したい.
  • 西村 幸雄
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1278-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    皮疹並びに皮膚病変全体としての性状の形態的現象を能うる限り精密に観察記載し,病変部皮膚を病理組織学的に檢査し,その異同によって疾患の異同を論じ,原因を探し,治療を行うのが皮膚科の主なる仕事であった.即ち皮膚科学は形態学的病理学に基礎を置いた記載皮膚科であった.近年に至り生理学的,生化学的方法をとり入れた新しい病理学の分野の発達と共に,皮膚疾患の病態生理学(生化学)的檢索が注目される様になつた.こゝで云う病態生化学的檢索とは,皮膚疾患々者の血生化学的檢索でなく,主として病変局所皮膚,即ち場lesionの生化学的変動の追求を指すことにした.斯かる意味での皮膚疾患の病態生化学的研究,即ち皮膚代謝の研究は,かなり以前から一部の人により注目されていた.又近年に至りRothman一派の廣範な研究があるが,未だ解明されない所が極めて多い現況である.
  • 藤田 恵一
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1305-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    皮膚に刺戟が與えられた場合の局所血管反應の1つの形態にLewisの所謂triple responseがあり,これは次の3つの反應から成り立つている.即ち1)局所微細血管の擴張による発赤,2)局所血管透過性の増加による膨疹形成,及び3)血管の軸索反射性擴張による紅暈発生がこれである.Lewisは本反應が多様な機械的,化学的及び生理的の刺戟に対して何れも同様に発現する処から,これらの刺戟が直接血管或はその神経要素に作用するのではなく,障害を受けた細胞から遊離した物質が擴散により血管或は神経要素に到達して反應を起すのであろうと考え,この問題の物質はhistamine或はこれに類似した物質,即ち“H-substance”であろうと報告した.現在ではこのH-substanceはhistamineそのものに外ならないと云う報告が多く,且つhistamineを供給する源は嘗て考えられていた如く表皮細胞ではなくて,肥胖細胞が唯一ではないまでも重要なものであると考えられている.癩病変部皮膚に知覚障害の認められることは舊くから知られているが,前述のtriple responseを癩の診断に應用したのはRodriguezである.即ち健康皮膚面に燐酸histamineの1,000倍生理的食塩水溶液を滴下し,この小滴を通じて尖鋭な針で軽く表皮を穿刺すると20秒以内に円形且つ境界鮮明な直徑3乃至4mmの発赤が発生,次いで15乃至30秒以内にその周囲に邊縁鋸齒状の紅暈を発生し,間もなく最初の発赤の部に膨疹が発生するが,癩性斑紋に於ては血管擴張神経の麻痺のためにこの紅暈の発生を認めず,これによつて癩性斑紋を他の皮膚疾患による斑紋から区別することが出来て,本法は癩の早期診断法として極めて有効であると報告した.わが國に於ては太田が癩診断法として本法を紹介して以来,林,永井,原田,桜井 ,馬嶋,駿河の報告があり,報告者は何れも臨床的癩診断法の1つとしてhistamine反應を推奨している.著者はhistamine皮内注射に対する癩患者病変部皮膚の反應態度を檢討したので,本反應に関係ある毛細管の構造,機能及び神経支配並びにに軸索反射に関する概要を記載し次いで著者の実験成績を報告する.
  • 藤田 恵一
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1316-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    癩病変部皮膚の機能障害に関しては多くの研究があるが,殊に発汗障害は知覚障害と並んで古くから記載されている.癩の発汗障害を実験的に証明したのはBaelz及び中西が最初であると云われている.彼等はfuchsin又はmethyl紫の粉末を患者の皮膚に散布し,pilocarpine 0.01乃至0.02gを皮下注射すると病変部では汗分がないため著色しないと報告し,以来癩患者の病変部に於ける局所的発汗障害に関してはJeanselme,吉村,湯山その他多くの報告がある.Arnoldは類結核癩患者の神経障害の檢査に当つてhistamine皮内注射による紅暈の状態を観察するよりも,acetylcholine皮内注射による発汗或は立毛反射の有無を観察する方が優つていると述べている.著者はacetylcholineを癩患者の病変部皮膚と健康部皮膚とに皮内注射して,兩部位に於ける反應の相違を観察し,又v.Groer-Hechtの薬理学的皮膚反應,即ちadrenalineによる血管収縮反應,caffeineによる血管演張反應及びmorphineによる淋巴溶出反感並びにtuberculine 及びcommunin皮内反應を同じく病変部及び健康部に実施し,その相違を比較檢討したので,これに関係ある研究を文献的に檢討した後に著者の実験成績を述べる.
  • 平岡 真
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1333-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    各種皮膚疾患と肝機能との間には密接なる関係がある事は多くの報告で認められており,Urbachは兩者の関係に就て,1)肝疾患又は機能障碍か皮膚疾患の原因たる場合,2)肝障碍が皮膚疾患の結果たる場合,3)肝及び皮膚疾患が共に同一病毒より発症した共存的症状たる場合の3つを舉げ,肝の物質代謝不全によりアレルギー準備性を醸成して諸種の皮膚病変を発現すると論じた.其後肝機能檢査法は日を追うて進歩し,新檢査法による肝と皮膚疾患との関聯性に就ての報告が相次いで現われる様になつた.特にアレルギー疾患,或はアレルギー性様皮膚疾患と肝機能との関係に関する論文がみられ叉近年は肝穿刺法の普及と共に各種皮膚疾患の際の肝組織像と肝機能の比較研究も行なわれるに至つた.又他方皮膚科領域の血清蛋白質の研究が既に多数報告せられたが,1937年Tiselius電気泳動法による分析が考按されて以来,この方面に関する研究も一段と進歩し,且つその重要性も新たなる脚光を浴するに至つた.而して蛋白代謝の中心に位する肝の形態的叉は機能的変化が血清蛋白質に反映する事は明らかであるが,皮膚科領域に於て血清蛋自分劃の測定と同時に肝機能を檢索し,且つ臨床症状との関聯及びその疾患の経過中に於ける変動を追求したものは尠い.余はアレルギー性皮膚疾患,特に濕疹群を主とし,その他各種皮膚疾患に就てTiselius電気泳動装置を使用して血清蛋自分劃を測定し,同時に肝機能檢査としてGros反應,コバルト反應及びモイレングラハト比色計法による黄疸指数を測定し,且つ臨床症状との関聯並びに一部症例にはその経過に於ける血清蛋白分劃等の変動を追求したので其の大要を茲に報告したいと思う.
  • 佐々田 健四郎
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1371-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    母斑に関する研究はVirchow(1864)年以前にも行われていたか,母斑の臨床的態度を追求するに止まり,母斑細胞の起源に関しては言及されていなかつた.Vi-rchow自身も母斑細胞が幼若結合織細胞に由来すると考えていた.P.Demieville(1880)は,母斑細胞が毛細血管の内皮細胞に由来し,色素性母斑はEndotheliomであるとの見解を持つていた.其の後,V.Recklingha-usen(1882)が線維性母斑を研究し,母斑細胞の内皮性起源を唱え,母斑を淋巴管線維腫と命名した.然し彼
  • 笹井 陽一郎
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1387-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    種々の反悪性皮膚疾患に於て,表皮の示すフオスフオリラーゼの活性は必ずしも一様ならざることは前編に記した如くである.而してかかるフオスフオリラーゼ活性の消長が外来刺激に如何に対悪するかを追求すべく,2,3の実驗を試みた.フオスフオリラーゼの活性檢出法,グリコーゲン証明法は前編と同様の手技によつたが,本編に於ては他にメチル緑,ピロニン染色,チオニン染色,リボヌクレアーゼによるRNA消化法,過塩素酸処理法,Feulgen反應による標本も協せ檢索を行つた.
  • 手束 尚
    1959 年 69 巻 9 号 p. 1392-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
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    瘙は皮膚科領域に於ては非常に重要な症状であり,又患者を最も苦しめるものである.従来瘙に関する研究は諸家によつてすすめられ,特に痒覚に関しては諸学説が唱えられている.即ちRothman,Bishop,山碕等は痛神経学説を唱え,その要点は痛神経が弱く刺激された時に痒感として感ずると言い, Bishopは擽感(tickling)は触終末に於ける又痒感は痛終末に於ける或る種の刺激の結果であろうと云つている.Rothmanは擽感,痒感,原感性疼痛は恐らく同一の神経線維の機能によつて生じ,痒感は原感性疼痛にまで至らない程度に弱く刺激された時に生ずるものであると唱えている.自律神経学説に就てはJacquetは痒覚は交感神経の興奮によりPulayは自律神経の失調により起ると云い,Kroner及びKoenig-steinは自律神経に属する知覚神経が痒のimpulseを中樞に傅えるといつている.又次に折仲説と情緒説でWinkler等は痒感は痛神経によるものであるが血管反射と共に考慮すべきであると云つている.伊藤は視床に特有な興奮を假定するならば特殊知覚の法則から要請される独特の知覚器並びに神経にこだわる必要なく,むずがゆさの要素は痒覚と同じものであることが出来るし又痒神経であろうと自律神経であろうと,弱い持続する刺激があつて掻把反射を惹起する様な條件の時の1種の衝動であろうと唱えている.其の他Lewisは痒感は痛神経線維ではなく特別な型の神経線維又は感覚傅導線維によつて傅導されるであろうと云つている.痒感については以上の如く種々の学説があつて,未だその定説がないのである.さて痛覚についてはその闘値測定には既にMartin,Macht,Bollinger等により感意電流を用いて行われ,又Hardyは幅射熱による疼痛計を考案しHarry Sigelは短形電流によつて闘値測定を行つている.然しながら痒感に関してはその感度を表わす方法は山碕が起痒物質の研究から「表皮十字切法」により瘙闘値の測定法を論じている以外,未だその適切なる方法を知らないのである.私は伊藤の発案による電気瘙計を用いて瘙闇値を測定し人体に於て種々の実験を行い興味ある結果を得たので述べ併せて痒感について述べんとする.
  • 1959 年 69 巻 9 号 p. 1405-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
  • 1959 年 69 巻 9 号 p. 218e-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
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