1884年,Riehlが樹枝状を呈する色素細胞を表皮において証明したのが人体では色素細胞(melanocyte)の最初の記載とされている.その後メラニン色素並びに色素細胞については多数の研究業績がある.色素細胞の由来についてはその発現が胎生期において比較的遅い時期に到つてはじめて未分化間葉系細胞と区別できることにより,19世紀の後半においては大多数の学者は結合織細胞の変化したものと考えた.ついで貪喰した白血球,または表皮細胞に由来するものとする説も現われた.20世紀に入つてHarrisonは神経の組織培養においてその中にしばしば色素細胞が存在していることに気付き,また神経管の切片を腹壁の移植した部位に大量の色素を認めた.Harrisonは色素細胞の起源については,それが神経管固有のものか,あるいは神経櫛由来のものであるか断定し得なかつたが,当時,Weidenreichは外胚葉性起源のものであり,神経櫛と同様,神経管閉鎖領域の細胞集塊から発して組織中を一定の方向へ拡がつていくことを推察していた.それ以来,動物学領域での実験成績より色素細胞の由来についてようやく解明され,1940年代に至りRawlesが哺乳動物においてもその他の脊椎動物と同様,神経櫛に由来することを実験的に証明した.色素細胞は人間においても同じく神経櫛起源であることは現在諸家の一致した意見であり,またかく考えることによつて母斑細胞母斑及びその類症にみられる組織学的所見がよく説明できる.しかしながら,メラノサイトの母細胞が神経櫛から皮膚まで遊走する過程が残らず追求されているというわけではない.人胎児皮膚における色素細胞の発現時期については古くから報告されているが,胎令の決定法並びに染色手技が異なるためか諸家によつてその成績は一致していない.過去における成績は胎生後半期の材料で,しかも断片的なものが多く,近年,ZimmermannとBecker Jr. の黒人胎児についての観察以外,身体各部位についての系統的な報告は見当らない.著者は胎令6週より86週までの日本人胎児について観察したので報告する.
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