1935年Baehr,Klemperer,Schfrinはエリテマトーデスを全身性の小血管病変として初めて記載したが,1942年Klemperer,Baehr,Pollackは上記の考えを発展し,広汎な結合織変化を示す疾患群に注目し,フィブリノイド変化を示す疾患群を,コラーゲン線維の退行変性の結果によると考えて“diffuse collagen disease”との名称を提唱した,後にはKlempererは膠原病を「結合織,血管に系統的病変を示す急性,慢性疾患」と定義している.即ちMorganiの器管病理学からVirchowの細胞病理学へと続き,Klempererにより形態学的に細胞,線維性間質,線維と分けられていた結合組織を全身的な広がりを持つ場,結合織病変としてとらえられることに成つた.議論の余地はあるも,現在リウマチ様関節炎,リウマチ熱,エリテマトーデス,汎発性鞏皮症,皮膚筋炎,結節性動脈周囲炎,さらに多発性壊死性血管炎Winiwarter-Biirger氏病,悪性腎硬化症,Weber-christian氏病,血小板減少性紫斑病,移動性静脈炎,亜急性細菌性心内膜炎.類澱粉症等膠原病と考えられている疾患は多い.すでにKlemperer以前Rossle一派の“Formenkreis der Rheumatoiden Krankheiten”或いは“Pathergische Krankheiten”の概念はKlemperer膠原病の先駆を成すものとされている.上記の病変は所も言う如く,もし同一疾患群であるというのみならば新しく膠原病の名を付するに値しない.今までの組織形態学的方向より進んでさらに組織化学,酵素化学,物理化学,生化学等の新しい観点より考察して,初めて新しい概念の意義が生まれると考えられる.又膠原病の概念は本来1疾患を意味しないが,一括して一範疇に入れて眺め,さらに各々疾患の分析をすれば新しい道が開けてくるものとも思われる.しかしKlemperer以後の膠原病に関する研究は各方面に進められているものの未だ緒についたばかりの感があり多くの未解決の問題を残している.しかるに1956年,和歌山大西村教授らは膠原病患者にはフェニールアラニン,チロジン代謝異常が存在し,尿中に2,5-Dihydroxyphenyl pyruvic acid(以後2,5-DHPPAと略す)が特異的に発見されることを発表し,さらに2,5-DHPPAの定量,減チロジン食による膠原病の治療へと研究は進展した.その間これらの研究は国内のみならず,世界の皮膚科,生化学界より注目されることになつた.1951年Yeeらにより2,5-DHPPAに関する論文が発表され,本邦においても小林,石原,大島,阿部らにより追試の結果が発表されているが,賛否相半ばしている状態である.私も本問題について興味を持つて,膠原病といわゆる2,5-DHPPA spotの出現の関係,次いで同患者のチロジン代謝についても検索したが,西村の言う膠原病患者におけるチロジン代謝異常のある点に異論を認め,かつ又尿中の2,5-DHPPAという物質がこれと異なる物質であることを認めた,次いで本物質が何であるかという点について種々研究したが,該物質の本態はつかみ得なかつた(西村秀後には2,5-DHPPA説についてはかなり修正された意見を発表している).従つて私は膠原病患者においてはチロジン代謝異常が存在し尿中に2,5-DHPPAが排出されるという説には賛同しかねる結果を得たので,その研究経過についてここに発表する次第である.
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