九州地方における白癬の研究は,古くは間野,加藤,森山,布施,赤木,原・桑野の諸氏によつて行われ,なかんずく加藤は九州地方が菌学的に特殊な位置にあることを明らかにした.戦後においては,加来の長崎県占部の福岡県における調査は詳しく,頭部白癬においては病原菌種の殆どすべてが日本小芽胞菌であることを証明し,90%以上の検出率を示している.現在までに既に本邦における白癬調査は余すところなく研究し尽された感があるが,南九州においては大正末期から昭和初期にかけて加藤が8株を得たるのみで,その内訳は奄美大島名瀬市において1株(董色菌),鹿児島市において5株(菫色菌3,禿滑菌1,日本小芽胞菌1),桜島において2株(禿滑菌)で,本地方における白癬菌分布状態は詳かでなかつた.著者は九州本土に属する地方と,南方海上の諸離島を有する鹿児島県の特殊性に注目して,本地方が日本本土と南方の諸地域および日本周囲の各地方と菌種的に如何なる連絡があるか?期待をもつて本研究を行つた.即ち昭和28年より昭和32年に亘つて鹿児島県離島:種子ケ島,奄美大島群島(奄美本島,加計呂麻諸島,徳ノ島,沖永良部島,与論島)及び九州本土に属する薩摩半島,大隅半島,北薩地方および鹿児島県西方海上の離島である獅子島等の調査を行つた.種子ケ島は鹿児島の南方115Kmに浮ぶ離島で鉄砲伝来の地として知られ,由来伝説の地で其の風士,気候は我邦他地方と頗る異る所で,従つて同地方に見られる疾患には他地方におけるものと多少異なるものがあるべく,殊に風土,気候の影響をうけることの大なる皮膚糸状菌に原因する白癬性疾患において臨床的方面のみならず,其の病原菌種に何等かの差のあることは吾々の容易に想像し得るところである.又奄美大島群島は更に種子ケ島の南方300Kmに浮ぶ群島で,奄美本島並びに加計呂麻諸島,喜界ケ島,徳ノ島,沖永良部島,与論島の島嶋よりなり,戦後一時米軍政下にあり後に復帰したが,日本内地とは隔絶していたところである.一応頭部白癬についての分布と菌種の同定を行つたのであるが,これらの南方洋上の諸離島と九州本土に属する鹿児島県内各地の白癬菌腫は予想していた如く,明らかに異なつていた.かつ2,3の珍奇な菌種を得,南九州における頭部白癬の分布を明らかにし得たので本邦内外における頭部白癬病原菌の分布と対比して報告する.
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