Harrison(1907)の蛙の神経の培養に始まる組織培養法は,血清,血漿,胎仔浸出液,各種塩類溶液,合成培地の使用,器具の工夫等によつて発達し,組織培養に関係のある業蹟は,Murray & Kopech(1953)の“Bibliography of the Research in Tissue Culture”からも判るように当時既に膨大なものとなり,その後も激増の一途を辿つている.特に最近では,ヴイルス,生化学,免疫学,アイソトープ及び電子顕微鏡関係のものが目立つてきている.組織培養を応用する腫瘍の研究は,Murrayらによつて開拓されたものである.それは,腫瘍組織を培養に移したとき,組織から自由になつて増殖する腫瘍細胞が,自由にその本来の形態的特徴を発揮するという性質を応用したものであつて,これによつて腫瘍細胞の母組織を推理することかできる.またある腫瘍組織か培養において示す形態的特徴を見て,腫瘍を診断することもできるとされている.組織培養とよく似た方法にstearns(1940)の兎の耳に透明な円板を挿入して観察する方法,或はVan Dooremaal(1873)に始まる眼球前房を用いて異種組織を培養する試みがあり,Towbin(1951,1957)などは,後者によつて悪性腫瘍の悪性度の比較を行なつている.Murray,stout & Bradley(1940)が組織培養所見によつてneurilemomaの起源をSchwann細胞であるとした研究はRecklinghausen病(以下R病と略称)の徴候がないと断かつてあるものについて行なわれたものであるにも拘らず,しばしばR病の病理発生の考察に引用されている.彼らは正常神経と神経鞘腫との組織培養所見を比較して,神経鞘腫がSchwann細胞の形態学的特徴を有することによつて,その起源をSchwann細胞に求めている.これに先だち,Masson(1932)は実験的神経鞘腫と神経鞘腫の病理組織とに共通する諸所見から,これをSchwann細胞に由来するものと考えた.因みに本邦ではMatsumoto(1985)は兎の迷走神経の部分切除によるノイロ―ムの形成及びその組織培養を試み,近年近ら(昭37)は兎の坐骨神経についてMassonの実験IIを追試し,50例中15例に成功したという.更にCausey(1969)はcarcinogen9・10dimethyl 1・2 benzanthracene(DMBA)をC+系マウスの坐
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