顕症梅毒の皆無に近い程の減少にもかかわらず,梅毒血清反応のみ陽性にして臨床症状をともなわない晩期梅毒の症例は,なおかなり多数例にのぼつている.昭和34年第15回日本医学会総会において,竹内の担当した関東地方における梅毒の疫学的研究の中においても,4%内外の潜伏梅毒の存在が証明されており,20才代乃至30才代に疫学上の焦点を置いた時代とことなり,今日ではその焦点がはるかに後退していると考えられ,40才代以降に相当多くの晩期梅毒の症例が潜在していることが明らかになつた.晩期梅毒の治療に当り,十分な治療によつても血清陰転化が極めて遅々としており,再治療の必要性をも思わせることがしばしばあることは,臨床医家を甚だしく当惑せしめる.血清反応の陰転化は特にPangborn(1941)により抽出されたカルジオライピン抗原の発達と共にますますその過程を複雑化し,一方Nelson,Mayer(1946)によるTPI反応をはじめとするトレポネーマ抗原を用いる諸反応の進歩も,この問題解決への道をいまだ十分には開いていない.かかる晩期梅毒の治療に関する各種血清反応成績について,わが教室においては既に千葉刑務所長期刑囚を対象としたペニシリン療法後5年間にわたる研究をおこなつてきた.既に緒方法については竹内,松尾,平林が報告をし,又ガラス板法に関しては大隅の研究がある.著者はわが教室において施行した定性反応及び定量反応に検討を加え,更に緒方法,凝集法及びカーン法の相互の定量反応の関連性をとりあげて,これにより晩期梅毒の治療過程の判定に対する新しい一試案を考え,治療集団および個々の症例に応用した結果をここに述べたいと思う.
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