日本皮膚科学会雑誌
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68 巻, 12 号
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
  • 久木田 淳
    1958 年 68 巻 12 号 p. 915-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    色素細胞の所在,形態及び機能は過去約1世紀に亘る間,種々論議,検索された問題であるが,今日なお多くの未解決点が残されている.夙くBourquelot,Bertrand(1895)は菌類の一種にTyrosinase(以下Tと略記)の存在することを発見,これに続き,Furth(1901)はTがメラニン形成に於て受持つ役割を示唆したが,その後Bloch(1917)がDopa-oxidase(以下Dと略記)の作用に依る,色素細胞の自所性色素産生を証明したことは,色素細胞のメラニン形成に関する研究を特に大きく進歩させた.併しながら更にその後に至りHogeboom,Adam(1942)が動物黒色腫の組織にTの存在を証明して以来,メラニン形成にTの持つ意味が再び重要視され,殊にアメリカ皮膚科学者の一群,即ちFitzpatrick,Becker,Lerner,Montgomery(1950)の紫外線照射人体健常皮膚に於けるTの組織化学的証明により,Tとメラニン形成との関係が明らかにされるに至つた.殊にこれ等の学者は1つの研究組織を作り,“Biology of Normal and Atypical Pigment Cell Growth”を主題として,色素細胞の形態学,発生及びメラニン形成の化学,色素細胞腫瘍の臨床,治療を討論し,今日この問題に関する研究の進歩の原動力になつている.又この間メラニン形成に関する詳細な総説及び研究が発表された.これを世界的に見るに,メラニン形成とT活性,人体色素細胞の形態学,ホルモンと色素形成との関係,色素細胞の胎生学的知見,人体色素細胞の体外培養,臨床上の色素異常症等が今日色素研究の主題をなしている.著者はアメリカOregon州のPortlandのFitzpatrick教授の下で,下等脊椎動物として家鶏,哺乳動物としてマウス,更に人間の種々の器官,即ち皮膚,毛嚢,眼球網膜色素上皮,脈絡膜に存在する色素細胞,又色素細胞腫瘍として色素性母斑及び悪性黒色腫,その他色素細胞の異所性増殖を主徴とする所謂Melanocytosisに於ける色素細胞のT活性をc14-放射性チロジンを使用したCover-Slide法及びAutoradiography法によつて測定して色素細胞研究に寄与するところあらんとした.以下その大要を報告せんとするものであるが,その前に色素細胞,色素形成,特にT活性に関する一般的事項に就て記すことゝする.
  • 山田 実
    1958 年 68 巻 12 号 p. 960-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    1894年Louis Brocqは貨幣乃至手掌大,円又は,楕円形の浮腫性紅斑の形をとり,自覚的には灼熱感,瘙感を伴つて身体の種々の部に生じ,その後反復して同一地点に再々生ずる発疹を記載するに初めて“固定(fix)”なる語を用いた.これが今日の固定藥疹が問題とされた最初である.今その記載を紹介すると,発疹は汚穢赤色,境界鮮明,時に水疱形成を見,その後落屑及び結痂する.そして発疹の消褪後には濃度種々,持続期間種々の色素沈着が残る.その最も特徴的な点は毎常同一地点に発疹の再発が繰返えされることで,そしてその原因には1885年以来使用されるようになつたアンチピリンが擧げられた.即ち今日もb\々見られるアンチピリン固定疹に依つて固定疹,固定藥疹の考え方が行われるに至つたのであるが,その後アミノピリン,サルバルサン,フェノールフタレィンの夫々固定形が観察,記載されるに至り,更に多くの種類の藥剤が夫々固定疹の原因として取上げられるようになつた.本邦では1901年山田がアンチピリン,折笠,吉川がサルバルサン固定疹を夫々初めて報告している.今日固定疹の原因となり得る藥剤は極めて多数あり,今Beermar,Hの擧げるところを紹介すると次の如くである.
  • 森 真章
    1958 年 68 巻 12 号 p. 985-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    皮膚上皮線維Tonofibrils,EpithelfasernはE. Kromayer(1892)がその確実な染色方法を発表して以来,Patzelt,Hoepke,P.G. Unna等多数の研究者により観察の対象とされてきた,表皮細胞内に存在し,且つ又これを貫通する線維である.このものは表皮の全層に存在するが,その形態が比較的顕著な観を呈するのは有棘層に於てである.しかしこの層に於ける上皮線維系の構造,形態も今日なお十分明らかには記載されていない.著者は本篇に於てこの皮膚上皮線維の観察,検索に従つたものであるが,先ず健常皮膚に於ける本線維の形態にいくつかの新しい知見を得て上皮線維系の構造,並にこれと有棘細胞との立体的,構築的関係を理解することが出来た.これに次いで著者は又,健常皮膚以外,上皮性皮膚腫瘍,湿疹,水疱性皮膚疾患に於ける本線維系の所見をも観察した.本来上皮線維は外力或は組織内の力学的状況によつて支配されるものであると考えられており,緊張小線維Tonofibrilの名称はこれに由来するが,その間の関係に就ての従来の考察は極めて漠然としている著者は自ら観察した所見に基ずいて,この点に就て考察するとともに,上皮繊維の細胞体外部分,或は上皮線維がその中を走ると見られている表皮細胞間橋に存在する,所謂橋結節の意義を語ると見られる所見をも得た.
  • 太田 逸郎
    1958 年 68 巻 12 号 p. 1012-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    皮膚の炎症性病変に際し,色素沈着,時に又色素脱失を生ずるのは屡々見るところであるあが,これに関与するものとしての皮膚炎症時乃至その後に於ける色素細胞Melanocyteの所見は今なお十分明らかにされていない.皮膚炎症に伴う色素沈着の消失に関して,Pautrier-Woringer(1937)は瘙性皮膚疾患の最盛期には表皮基底層並びに真皮のメラニンMelanin沈着が消失して,殆どこれを認め得ないのに,炎症の消退に伴つてそれは再現すると記載し,Alexander(1927)はアトピー性皮膚炎の最盛期表皮基底細胞のメラニンは或は増加し,或は減少すると,更に森岡(1954)はPautrier-WoringerのReticulose lipo-melaniqueを検索した業績中に,紅皮症の炎症硬度の時期表皮にメラニン沈着を殆ど認めず,症状の軽快と共にこれを見るに至るとしている.この皮膚病変に関連する皮膚色素沈着の消長を稍々理論的に取扱つたものとして,Rothman(1952)は,皮膚炎症後の色素増加をメラニン形成に抑制的に作用するSH基の酸化或は崩壊に帰し,又Rappaport(1956)はアトピー性皮膚炎の急性期基底細胞にメラニンの欠如するのは表皮細胞内並に細胞間浮腫が色素細胞の突起と表皮細胞との接触を絶ち,ためにメラニンの主として基底細胞への接触を不可能とする結果であると説明している.扨て,著者は一般に表皮病変を主徴とする炎症性皮膚疾患に於て皮膚炎症に伴う表皮メラニン沈着の消長,及びこれに関与する色素細胞の態度を明らかにすべく,アトピー性皮膚炎,紅皮症,乾癬,脂漏性皮膚炎,ウイダール苔癬,急性接触皮膚炎の経過に於て即ち斯等疾患の最盛期,軽快期並びに治癒期に於て,病巣表皮内メラニンの分布状態並びに色素細胞の所見を求めた次第である.
  • 太田 逸郎
    1958 年 68 巻 12 号 p. 1037-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    白斑の治療は皮膚科臨床に於ける難問題の1つで,今迄内外の学者により各方面から研究が成されていたが,今日まで満足し得る方法が見出され得なかつた.所が最近米国に於て8-methoxypsoralen製剤であるoxsoralenが,ついでわが国に於てT.T.Gが白斑の治療に優れた効果があるという報告に相ついで接するようになつたので,著者もまた過去1年半にわたり白斑患者39例に就て9例をoxsoralen,30例をT.T.G.を以て治療,その臨床成績を比較検討した.又,この機会に治療前後に於ける白斑部と健康部との表皮メラニン消長の関係を組織学的にDopa及びMasson-Zimmermann染色によつて検索し,いささか興味ある知見が得られたのでこゝに報告する.
  • 下田 千之, 長谷川 隆三
    1958 年 68 巻 12 号 p. 1046-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    太陽光線によつて起る蕁麻疹はMerklenの記載以来海外文献には略々50の報告があるが本邦では稀有のものとされ,山下の第1例以後の宮田,伊藤,福家の報告があるに過ぎない.著者等は最近本症の1例を得,その原因光線波長域が主として短波長可視部にあることを確かめると共に可視光線によるものとしては例外とされる陽性被動性感作成績を得たので以下報告する.
  • 谷奥 喜平, 中平 正美, 小泉 雄一郎
    1958 年 68 巻 12 号 p. 1051-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
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    最近身体各部の臓器乃至組織に対する自家抗体が各方面から問題になつているが,我々も発作性寒冷血色素尿症(以下P.C.H.と略する)の1例に於て所謂赤血球や賢盂に対する自家抗体の存在を疑わしめる事実に出会い,また同患者の血清梅毒反応陽性結果などと併せてP.C.Hの発現機序などについて考えてみたことを報告する.寒冷に身体の全部または,その一部が曝露された時に,発作性に血色素尿を出す患者を,我々はP.C.H.と称えていることは周知の如くである.勿論血色素尿症は1849年にCharles Stewartにより記載されたのに始まり,1868年にPofferがP.C.H.と命名した頃より一般に知られていたが,1879年特にLichtheimが寒冷時にのみ起る本症をP.C.H.と名付けて以来,本邦でも多くの報告がある.その後生体内,さらに試験管内で患者血清中に自己の赤血球を溶解する所の溶血素がある事を,夫々Ehrlich(1879)とDonath et Landsteiner(1904)が確かめ,これを自家溶血素と呼んで以来,本邦でもこの所謂自家溶血素なるものが証明されて来ていた.これにより免液血液学の概念が本疾患に導入された訳である.他方1905年のLangsteinの発表以来,本症の患者の血清梅毒反応が可成り高率に陽性に出る事が知られている.又本症の発現に関係深いと見做されている寒冷抗体Cold antibodyには2価(完全抗体)以外に1価の抗体(不完全抗体)が存在し,しかもこの1価の自家抗体が最近Coombs試験により具体的に可視の状態(visible reaction)で証明できるようになつた.もつとも現在の免疫血液学的検査法で証明できるこの自家抗体が,果たして真の意味での自己免疫によつて作られたものか否か,即ち自分自身の正常乃至変性した組織成分により自身が免疫されたものか否かは未だ判然としていないようである.本P.C.H.の例についてはCookms試験の結果の報告は最近だんだんと現われており,(Fischer,福岡,Jordan et al.,冠木,Malley et Hickey,Siebens et al.,土屋等,van Loghem et al.,Suckling,Peterson et Wolford),特に我々の症例の如く直接反応陽性,更に間接反応も疑陽性ながら陽性結果が出た例は割合に報告が少ないようである(Jordan et al.).更に腎盂に対する自家抗体の存在を疑わしめる結果を見たのでここに報告する次第である.
  • 1958 年 68 巻 12 号 p. 179e-
    発行日: 1958年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
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