日本皮膚科学会雑誌
Online ISSN : 1346-8146
Print ISSN : 0021-499X
ISSN-L : 0021-499X
69 巻, 10 号
選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
  • 佐々田 健四郎, 瀬川 昭夫, 森 弘文
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1407-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    1666年にMalpighiは葡萄状に腫脹したリンパ腺及び結節状の牌臓の病変に就て記載した.1832年にHodgkinは同様にリンパ腺及び牌臓の腫大した7症例を報告,その後,多数の報告か文献に見られるか,一般にHodgkin 氏病として総括されている.しかし乍ら,その原因,本態,更に治療に関しては種々論じられているが,未だ確定されていない.我々は臨床症状,臨床検査更にリンパ腺試験切除組織学的検査の結果,Hodgkin氏病と確認された患者を経験し,副腎皮質ホルモン(Prednisolone)治療を行い,リンパ腺病巣及び臨床経過に全く良好な結果を示したが,終に死亡し,剖検の機会を得た症例に就て報告する.
  • 佐々田 健四郎, 野崎 憲久
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1417-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    淋巴肉腫症は従来Cohnheim(1865)が仮性白血病として包含していたものの中からKundrat(1893)が淋巴腺系統の増生障碍による特殊疾患として分離したものであるが,其後Raessle-Roulet(1910)により組織学的にその内よりRetothelsarcom を分離し,緒方は之をReticulosarcomと呼び之とKundratの型との間に移行型ありとして分類している.症例は当初は細網肉腫と考えられた組織像が緩解後淋巴肉腫の像を呈したる4才男子についてその発病より死亡に至る臨床的経過を7ヵ月に亘り観察すると共に剖検により些細に組織像を分析する機会が与えられたので報告するものである.
  • 岡本 昭二
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1428-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    化学的に純品のB2群の出来ていなかつた1930年当初は生物学的検定によつてB2群の性状を批判していた.竹内がB2複合体として観察を試みていた1932~37年頃にはB2複合体欠之症の皮膚症状として脱毛,肢端の脂漏性皮膚炎其の他がB2群の何れの因子に基くかを定めることは出来なかつた.しかし1930年当時でも既にChick&Coppingは所謂“ビタミンY”(熱に安定なる水溶性成長促進因子)が鼠の皮膚炎予防因子であろうと述べていた.又1934年に至りP.Gyorgyは当時ReaderがB4称したものも本因子と同一であろうと言い,又Lepkowsky(1936)が濾過因子I,Hogan&Richardson(1936),Booher(1937)が“ビタミンH”と唱えたものも同一であろうと言われる様になつた.一方Kuhn等と共にB2の研究に従事していたPaul Gyorgyは1934年に到りHarrisの授助の下にB2複合体の研究を進め,B2複合体欠乏食にB1を補い飼育するとペラグラ様皮膚炎=Acrodyniaがおこる.これにB2を与えたのでは治らないが,酵母エキスを投与すると治癒することに端を発し,Birch,Gyorgy(1936)の化学的濃縮の研究,1938年に到り5力処の異つた研究室で各々独立した研究でGyorgy,Lepkowsky,Kuhn,Ichiba,Kereszteskyによつて純品の分離が成功し,更にKuhn(1936),Stiller,Keresztesy&Stevens(1939)が本品の合成,構造式の決定をなしたが,1941年Gyorgyはrat acrodyniaが人間に於ける脂漏性皮膚炎に類似することを報告して以来,皮膚科領域に於いてビタミンB6に対する関心がたかまつて来た.PeelはビタミンB6を乳幼児の脂漏性湿疹に用いて無効であつたとし,Jolliffeはこれを尋常性痤瘡に使用し有効であつたと報告している.更にWrightらは脂漏性皮膚炎及び慢性再発生皮膚炎にビタミンB6が有効であつたと言ひ,本邦の小嶋,小堀は慢性湿疹,慢性蕁麻疹,多形滲出性紅斑,皮膚瘙症等に効果的であつたと述べ,又高野等は妊婦痒疹に有効であつたと記述している.松本及び高野,田中もライネル剥脱性紅皮症に,竹内も乳幼児湿疹に有効であつた事を述べている.安田は脂漏部位に発生した痤瘡に有効であつたとし,各種皮膚疾患に現在も尚相当な範囲に臨床的反応が行なわれている.漠然たる臨床的応用は広く行なわれていをにる拘らず,皮膚疾患々者のビタミンB6代謝に関する報告は極めて少く,僅かに小嶋,倉持,竹田の研究があるに過ぎない.然し彼等はビタミンB6の1型であるピリドキシン(以下PINと略す)につき尿中排泄量の定量を行つたのみで,生体内で大部分を占めるB6の他の2型,即ちピリドキサール(以下PALと略す)及びビリドヤサミン(以下PAMと略す)を含めた代謝については追求していない.著者はB6 3型総量を測定しうるAtkinの微生物学的定量法を用いて,正常人及び皮膚疾患々者の尿中B6排泄量及び血清B6値を測定し,又PINによる負荷試験を行い,血清中及び尿中B6値の変動を同時に追求した.更に白鼠を用ひB6欠乏実験を行つてB6代謝に関する基礎的問題を研究したので其の大要を報告したいと思う.
  • 吉田 道
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1448-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    皮膚疾患が諸物質代謝と密接なる関係を有し,物質代謝機能の低下は皮膚疾患発生の原因,疾患の招来又は誘因となり,ひいては皮膚疾患準備性の一環を荷ふものと考えられている.一方,原因的関連性とは別に皮膚疾患発生後に各種物質代謝の変動を示し,各臓器機能の亢進若しくは低下となり.尿中への排泄の変化となつて現われてくる.蛋白質代謝は個体維持の上不可欠の重要素であるが,アミノ酸の代謝は蛋白質代謝に包含されるものでその消長は,近来夙に脚光を浴びるようになつた.アミノ酸代謝を論ずる際に肝機能及び腎機能を等閑視し得ない事は肝に於けるアミノ酸の合成及び破壊,腎ではその排泄と再吸収の問題があるので之等の関連性を充分に考攻しなければならない.皮膚科領域に於てはアミノ酸と疾患との関係についてシスチン,チロヂン,フェニールアラニン等について,又ヒスチジンのアミンであるヒスタミン,近年は瘙の起因物質との関連も論じられ,次第に各個のアミノ酸代謝の研究から綜合的研究に移行するようになつた.アミノ酸研究方法として従来はFischerのエステル法・ Dakinのプチアルコール抽出法・銅塩法等の生化学的方法が行われて来たが,これらの生化学的測定法は複雑なる手技と時間を要し,到底我々臨床家の耐えるところではなかつた.しかるに1861年Shoenbeinがオゾンの無声放電の研究に際して吸着剤を使用しての分析を毛管分析(Capillary analysis)と名付けたのが始まりで,1906年Tswettはこれをクロマトグラフィー法と命名した.しかし本法は一般に殆んど顧りみられなかつたが,1930年にGordon Martin,Syngeが2次元ペイパークロマトグラフィーを完成させるに及んで俄かに脚光を浴び,医学,生物学,工業方面に応用されて輝かしい発展を遂げ,分析方法に革命をもたらした.ペイパークロマトグラフイーを応用してアミノ酸の分析を行うことは個々のアミノ酸の変動の追求に止まらず,アミノ酸の綜合的分離の同時性観察を可能とし,更に操作が比較的容易で時間的制限も少いという利点がある.私は2次元上昇式ペイパークロマトグラフィーを応用して皮膚科領域に於けるアミノ酸代謝を追求し,併せて肝機能,腎機能との関連性を研究したので其の大要を報告したいと思う.
  • 高橋 清
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1483-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    Mullerの各皮膚感覚に対する特殊神経学説やvon Freyの皮膚感覚受容器の解剖学的区別が学界の注目を惹いた頃には,「痒感」には未だ皮膚感覚としての1次的格付けがなされていなかつた.しかしこの「掻破慾を催させる奇妙な皮膚感覚」なる痒感の本体についての検索は今日まで既にかなりなされてはいる.唯その実験的起痒術式に適当なものが乏しかつたため,その観察に困難を来していたようである.著者は近年山碕教授によつて案出された起痒術式並びに痒感闘値測定法を用いて瘙に関する2,3の基礎的研究を行い,瘙の本体に関する若干の観察を行うことが出来た.本稿に於ては先ず痒感と他の皮膚感覚特に疼痛との関係について得た知見を記載したい.
  • 島崎 淳
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1498-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    皮膚科領域に於て現今尚多くか疾患が原因不明のまゝ対症療法に甘んじていることは愁苦に堪えない.然し乍ら近年病理学の進歩は皮膚科領域にも著しい影響を与へ,例へば“膠原病”の如き形態学的概念は次第に或1群の皮膚疾患を一括し病因論的に共通の機構を推測せしめるという有力な手段を投じた.更に“病巣感染”なる概念は之に拍車をかけ,之等の概念の上に立つて新しく或種の皮膚疾患に対して再検討の必要を抱かせるものがある.余は之等の理論の出発点となつたリウマチと溶血性連鎖球菌との関係に注目し,皮膚疾患に於て血清学的な方法により連鎖球菌の果す役割を追求せんと考へ,いささか小実験を実施したのでこゝに報告したいと思う.尚本論文中に於て皮膚膠原病なる名称の下にエリテマトーデス,多型紅斑,皮膚粘膜症候群,結節性紅斑等の疾患を一括しているが,之は之等に共通の間質血管系の組織学的特徴乃至は病因的共通性が考えられ,又更にそれ等の解明が本論文の要旨である故に便宜上使用したもので,厳密な用語でないことを附言しておきたい.
  • 清水 昭之
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1517-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    奥野教授は瘙の研究を始めた頭初,アミノ酸(グリシン,リジン,アラニンなど),ペプチードの如き,いわゆる起痒性物質と称する化学物質が瘙の発生に密接な関係を有するのではあるまいかという意見を持つていたが(皮と泌.17 484,昭30),その後の研究により,湿疹,皮膚炎の如き皮膚の炎症にともなう瘙の発生には必ずしもそのような起痒性物質の存在を必要としないのではないかという見解に変つた.すなわち皮膚の炎症に基く瘙の発生機転をわれわれは大約つぎの如く解釈している.皮膚に炎症が発生すると炎症部位は必然的に知覚過敏状態に陥る.換言すれば炎症部位では神経線維(疼痛神経)の刺激にたいする興奮性が亢進する.興奮性の亢進せる神経線維が病巣の内外から緩徐に刺激されるときに痒感が発生する.而してこのさい病巣内に発生する刺激性物質の有する起痒性の有無は余り関係しない.従来このように皮膚の炎症に基く瘙の機序を解してきたが,このさい問題になるのは炎症部位にみられる知覚過敏の解釈である.すなわち知覚過敏をたゞちに神経線維(疼痛神経)の刺激にたいする興奮性の亢進と解してよきやという点である.実はこの点が大いに問題なのである.この点について種々検討した結果上述のように解釈するのがもつとも合理的なように思われるので.その理由について詳しく叙述しよう.なお起痒性物質のうちでとくに重要視されるアミノ酸(起痒性を有するアミノ酸)と瘙性皮疹にともなう瘙との関係について述べよう.
  • 宮崎 張夫
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1530-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    皮膚病を内部疾患の表現と考えたHyppokratesのHumoralpathologieに源を発する皮膚病の病理観は,Darier(1935)の言葉を借りれば,形態学主義(Mor-phologisme)の時代すなわち記載的皮膚科学の時代及び原因学主義(Etiologisme)の時代を経て今や生物学主義(Biologisme)の時代に入り,輓近の皮膚科学は,原因の判明せる一部の外因性皮膚疾患は別として,皮膚病変の大部分を内臓の病変,アレルギー,内分泌乃至ビタミンその他の物質代謝障碍等の内的要約の基盤の上に立つて眺めんとするに傾きつつある.しかるに.多くの皮膚病変はただかゝる内的要約を以つてのみ解明されるものではなく,皮膚自身のもつ局所的要約の意義も決して忘却してはならない.すなわち,皮膚病変の中には性別,年令,発生部位等と特異的な関係を有するものが少くなく,b\々或る種の皮膚病は男女何れか一方をより多く侵し,一定の年令層により多くみられ,その発現にあたつて所論好発部位の存することは日常われわれの深く経験するところであり,他方又このことは皮膚病診断に重要な鍵を與えてくれるものでもある.蓋し,かゝる特異性が多分に局所皮真の有する解剖学的,組織学的,生理学的乃至組織化学的性質の差異に負うものであることは想像に難くなく,従つてこれら局所皮膚のもつ色々な特性を薬理学的,組織化学的に究明し,それらの部位か如何にして夫々独自の皮膚病変の発現に寄似しているかを追究し,皮疹石の現機序,換言すれば所謂局所的素因,準備状態を解明せんとして一部の先人達が不断の努力を傾注しており,既に多くの業績もみられる.教室に於ても既に北村(包)前教授のもとに皮膚病変の局所的要約に関する研究がとりあげられ,二神はQRZ及び薬力学的皮膚反應を用いて人体皮膚の部位的特性を追究し,森は皮膚発疹の形態の性別的,部位的差異を窺い,荒木は色素沈着皮膚と然らざる部に於ける諸種反應の差異を檢し,蕭は皮膚描記症及びStorm反應の性別的,年令的及び部位的差異を追究すると共に各種皮膚疾患に於ける薬理学的皮膚反應の態度を檢している.以上の諸実験により,種々の皮膚反應の部位的,性別的差異や健康部と病変部に於ける差異については大凡の成績は得られているか,遺憾ながら年令的差異を系統的に追究した実験には接しない.著明は皮膚疾患の中には幼少年期,青年期,壮年期,老年期等の或る特定の年令層に好発するものの少ない点に着目し,皮膚の局所要約にも必ずや薬力学的及び物理学的反應,組織化学的性状等に於て各年令層に特有な差異のあつて,しかるしと考え,これを追究し一應の成績をあげることか出来たのでここに報告する.
  • 鈴木 日出和
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1551-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    肝臓が血漿蛋白の大部分を生涯していることは古くから推定されていたが,現在γ-グロブリンを除く血清蛋白の殆ど全てが肝臓で生産されていることが明らかになつた.肝実質機能の表現として重要と思われる蛋白代謝異常を基とする檢査法が最近数多く提唱され,排泄機能檢査,糖代謝機能檢査,解毒機能檢査等に代つて肝機能檢査法の中核となり,現在蛋白質代謝の檢査法として,1)血清膠質反應,2)血漿又は血清蛋白の定量及びその分屑の測定などが最も普遍的に行われる様になつた.血清膠質反應は一般的にはγ-グロブリンの沈殿反應であり,アルブミンに依りその沈殿が抑制されるが,この場合a-グロブリン,β-グロブリン,血清脂質等が反應態度を修飾するものといわれている.内科領域では膠質反應と血清蛋白分屑との関係について多数の報告がなされたが未だその成績も区々で一定した結論は得られていない.各種疾患時の血漿蛋白分屑の質的変化の可能性も考えられ,肝疾患時のその解明やγ-グロブリンの細分化が企てられている現状である.余は肝の増殖性変化をよく表現するといわれているグロス反應,高田反應,コバルト反應を各種皮膚疾患に施行し,グロス反應と他の2反應を比較檢討し,皮膚科領域の肝の蛋白代謝機能檢査法の臨床檢査としてのグロス反應の意義を考察し,且つ血清蛋白分屑とグロス反應,コバルト反應の相関態度を濕疹群,膠原病群の夫々に就て追求し,同時にモイレングラハト比色による過ビリルビン血症と皮膚疾患の関係及びエリテマトーデスの急性型と慢性型の蛋白代謝障碍発生機相の差異を比較檢討し,各種皮膚疾患時の肝障碍の態度を究明せんとして本研究を行つた.
  • 林 彰夫
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1565-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    生体皮膚の障碍の狁態を自然の條件のもとに正常のそれと比較して微細に観察することは,病理組織の檢索とは異つた新分野の知見を深めることができる.皮膚毛細管顯微鏡が如何なる皮膚の部位にも應用されて観察することができれば,それは極めて有効な皮膚疾患に対する研究手段となるが,ごく初期の試験期を経て,1937年Ottfried Mullerがこの技法を臨床検査の一方法として,廣ろく紹介した際にも,口唇,眼球,齒齦などを選び,皮膚では専ら爪床部の如く非薄な部位に限つていた.1947年Oscar Giljeは,それまでに皮膚疾患の毛細管顯微鏡観察を行つた文献による綜合報告では極めて僅かに過ぎない.初めて下腿潰瘍の部位を選び,その後6年間に他の数種の皮膚疾患について毛細管の一般像と異常像とを比較したが,皮膚組織の血管像についての観察が困難なるために,毛細血管観察に限定し,更に観察部位を指の爪床部において檢索している.1950年Stanley & Tayler,1955年中村,1956年徳永,林1956年島などは皮膚疾患について皮膚毛細血管観察を行い,1956年津屋は顯微鏡写真撮影装置を改良して,爪床部皮膚以外の皮膚並びに舌,口腔粘膜などにおいても血管撮影を試みた.著者は種々の皮膚疾患における皮膚毛細血管の顯微鏡観察を行つてきたが,1954年凍瘡患者についても爪床部皮膚毛細管の観察を行い,その病的動態を中心として発生機轉についての研究をしてきた.凍瘡の発生機序については多くの研究があり,種々の発生要因があげられているが,就中,血流障碍は本疾患の支配的要因であり,この点についての研究方法としてはPletysmographによる血管生理的方法と,我々の用いている皮膚顯微鏡による方法が最も適切な方法である.凍瘡の発症部位が手足の指趾に多く,病変部の皮膚毛細管の生体観察が容易であるので,著者はこの方法を選んだ.從来凍瘡においては皮膚表面の透過度が低下するため,この方法による観察は困難とされ,詳細な報告がない.そこで著者は270名の被檢者について,5年間にわたつて連続観察を試み,興味ある所見を得たので報告する.
  • 田中 晋
    1959 年 69 巻 10 号 p. 1576-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
    古くはUnnaが所謂Morokokkenを以つて濕疹の起炎菌に擬して以来,濕疹に於ける細菌の役割については種々論争されているが,要するに濕疹病理に於ける細菌の意義としては1)濕疹病変自身に及ぼす2次的因子としての細菌の意義と,2)濕疹病変惹起因子,即ち感作源としての細菌の意義に大別され得ると思う.この意味に於いて著者は濕疹病変,就中糜爛性濕疹乃至膿疱性濕疹に於ける細菌の増減と臨床像の消長との関係を追究すると共に,所謂細菌疹乃至自家感作性皮膚炎の発現に主役を演ずるものが果して細菌自身か,又は菌体外毒素か,或は又菌体内毒素であるかを決定し,濕疹に於ける細菌の役割を解明せんと試みた.
  • 1959 年 69 巻 10 号 p. 241e-
    発行日: 1959年
    公開日: 2014/08/29
    ジャーナル 認証あり
feedback
Top